東神戸教会
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メッセージ   2009年のメッセージ




『 永遠を思うこころ 』    コヘレトの言葉3:9-15(1月4日)

私たち人間は「時を知る」生き物である。
自然界の生物もある意味では時を知っており、
正確に時を探り当てるその感覚はある意味見事でもある。
しかし「時間の概念」を持ち、時間を意識しながら生きるのは、
自然界でひとり人間だけであろう。

この「時間の概念」を軸に、人間は歴史を記録し、未来を探訪し、
独自の進化を遂げてきた。時間の概念は人間に数々の恩恵をもたらした。
そして遂に、人間は自ら生み出した時間の概念に、
逆に縛られて生きるようになってしまった。

近・現代の社会では、時間を短縮すること、
ものごとを早く処理することは「善いことだ」という価値観が支配的となった。
建築技術、交通手段、通信技術、様々な技術の開発によって、
我々の情報処理能力や移動・物流の範囲は、飛躍的に増大した。

では、その分私たちの暮らしは余裕あるものになったか?
というと、実際は正反対である。
技術開発による時間の短縮は、人間にゆとりをもたらしたどころか、
かえって生活を慌ただしくせき立てる。
時間のかかることは「よくないことだ」という価値観が横行し、世の中はより忙しくなって、
文字通り「心(「忄」=りっしんべん)」を「亡」ぼしてしまっているのである。

そんな時代を生きる私たちに、自分を取り戻し、
時間との上手な付き合い方を示してくれる世界が「宗教」という世界である。
キリスト教に限らず、おおよそ意義深い宗教というものは
「大いなるもの」と自分との対比で物を見、考えるという契機をもたらしてくれる。
「永遠を思うこころ」(コヘレトの言葉)を与えてくれるのである。
そのようなふりかえりの中で、人は自分の「小ささ」と「かけがえのなさ」を発見し、
自分を取り戻していくのではないだろうか。

「一日を愛し、一年を憂い、そして千年に想いを馳せる」
            (桃井和馬/フォトジャーナリスト)。
年の初めにあたり、この「永遠を思うこころ」を忘れずに生きることを心がけたい。




『 新たな出会いに生かされる 』   ルツ記1:15-22(1月11日)

阪神大震災からまる14年の1月17日がやってくる。
時の流れと共に、追悼や記念の行事のあり方も各様になってきている。
もちろん、震災の苦しみ・痛みからいまだ解放されない人もいることだろう。
しかし、「あの悲しみを忘れるな!」と声高に叫ぶだけでなく、
その後を生きた人々の姿にも思いを馳せたい...そんな思いから、東神戸教会では
昨年より「震災を憶え、いのちを祝う礼拝」としてこの時期の礼拝を行なっている。

私は震災を体験していないが、震災が契機となって神戸に来た人間である。
震災の年、3月に会津からボランティアに来た時の経験が、
東神戸教会からの招聘をお受けする際に大きく作用した。
赴任当初は震災に対する活動に関わらせていただくことができた。

しかし時の流れと共に、関わりは少なくなってきている。
「終わらせてはならない!」という理念と、
「でもいつかは終わりは来るのだろうな…」という予感の中で、
モヤモヤしているというのが正直なところである。
それは言いかえれば、辛い忘れられない体験をした人にも、
いつかその辛さから解放され、癒される日が来るのを願っているということでもある。

「時間」が癒してくれる」ということもあるだろう。
しかし「時間」ですら解決してくれない苦しみに向けて、
窓をあけ扉を開き、新しい道を示してくれる体験があると思う。
それは「出会い」である。
新たに出会う人々との、心通い合うあたたかい体験が、悲しみの海から自分を引き上げてくれる...。
そんな「出会い」があると思う。

ルツ記の主人公・ユダヤ人のナオミは、イスラエルで飢饉に遭い、
避難先のモアブでは夫と二人の息子を次々に失い、悲しみのどん底に落ち込んだ体験をした。
しかしそのナオミを救ったのは、息子の妻であったモアブ人(異邦人)であるルツとの出会いであった。
二人の心通い合う「真心」、それがルツ記の重要なキーワードである。

ルツとの人格的な出会いが、傷心のナオミに支え、そして癒しの時をもたらしてくれる。
さらに、ナオミと共に帰ったイスラエルの地で、ルツにもボアズとの新たな出会いが与えられる。
ボアズとの出会いの中で、ルツは子どもを生み、その名をエッサイ名付けた。
このエッサイこそ、ダビデの父であり、イエス・キリストの系図に名を残す人物である。

モアブの地で一家を襲った辛い体験。
しかしその中でなお、真心の通った出会いを重ねる中で、
祝福へと導かれていく物語を、旧約聖書は伝えている。

昨年末の新聞記事に、こんな内容のものがあった。
“長田で被災し、15歳の娘を失った老夫婦。
 娘と同じ名前の女性が会津の酒蔵の杜氏として活躍しているという雑誌を読み、
 老夫婦はその女性杜氏に手紙を書いた。「あなたのお酒を飲ませてほしい...」
 そこから夫婦と杜氏との交流が始まった...”。
           (朝日新聞 12月21日朝刊)

中学3年生の娘を突然地震で失う...一生忘れることなどできないような辛い体験。
それは恐らく「時が止まってしまう」ほどの悲しみ・痛みの出来事だったことであろう。
しかしそれでも時は流れ、人の暮らしは続き、人間はその中を生きなければならない。
そこに、新たな出会いが与えられ、その出会いによって支えられて、人は生きてゆくことができる。
「杜氏として頑張る彼女の中に、娘の人生が続いているように思う」
そんな老夫婦の言葉に、新しい出会いに生かされる、その不思議な力を感じた。

「出会い」というものは、私たちが計画的に作り出せるものではない。
それは向こうからやって来るように、ある意味偶然のようにして与えられるものである。
でも、実は小さな「出会い」は誰にでも与えられているのだと思う。
その出会いの中に希望の種を見出すことができるかどうか ―
それは、「私たちの心が開かれているかどうか」にかかっているのではないだろうか。

震災によってもたらされた悲しみ・痛み、いまだ癒されぬ人々に神の守りを願いつつ、
新しい出会いによって生かされる日が来ることを、心から祈りたい。




『 自由から愛が生まれる 』  ガラテヤの信徒への手紙5:13-15(1月18日) 
 
今日の第3礼拝はジャズのアレンジによる賛美歌の演奏である。 
ジャズはアメリカの黒人文化から生まれた音楽であり、そのルーツは黒人霊歌にまでさかのぼる。 
元奴隷たちの苦難の歴史の中から、信仰によって生み出された音楽、それがジャズのルーツである。 
ジャズの演奏の特色のひとことで言うならば、「自由」という言葉がふさわしいであろう。 

クラシックの楽譜にはたくさんの音符や記号が書き込まれているが、 
あるジャズピアニストの楽譜で、真っ白な五線譜に 
ただコードの記号が書いてあるだけのものを見たことがある。 
基本となるメロディに、自由にその場でアレンジを加えて演奏する、 
「インプロヴィゼーション(即興演奏)」こそ、ジャズの真骨頂である。 
 
以前ジャズが弾きたいと思って、ジャズピアノの楽譜を購入したことがある。 
しかし、クラシックの教育で音楽の素養を積んだ者としては、大変難しく思えて挫折した。 
ジャズを弾く知人に尋ねたところ、「そんなもん、楽譜通り弾かんでもええ。 
フィーリングで弾いたらええんや」と言われた。 
しかし「フィーリングで...」と言われても、どうすればいいか分からなかった。 
楽譜に縛られてしまっている自分、そしてジャズの世界の自由な息づかいを痛感した。 
 
「自由」― それはすべての人間が求める究極の願望のひとつであろう。 
そしてその自由が神さまとのふさわしい関わりの中で与えられることを、 
イエス・キリストは教えて下さった。 
 
しかし、自由にはひとつの落とし穴がある。 
それは、私たちの自由を求める心というものは、 
気をつけないとあっという間に「わがまま勝手、自己中心」に陥ってしまう、ということである。 
ジャズの自由な演奏も、アンサンブル(協調)があってこそ心地よく人の心に届く。 
 
では、その「自由」と「わがまま勝手」とをどこで見分けられるのだろうか。 
それは「そこから愛が生まれているか?」「それが愛に根ざしているか?」にかかっている。 
 


 
『 人の間に生きる 』   出エジプト記20:15-21(1月25日)

「なぜ人を殺してはいけないのか?」
かつて、あるTVの討論番組でひとりの中学生が質問した。
名だたる識者たちが答えようとした。
「そんなの当たり前じゃないか」「法律で決まってるんだよ」
「君だって殺されるのはいやだろう。だからダメなんだよ」
...様々な返答が試みられたが、中学生の納得を得ることはできなかった。

十戒には「あなたは殺してはならない」という条文がある。
しかし同じ旧約聖書には、約束の土地・カナンを手に入れるために、
異邦人であるカナン人を襲撃し殲滅せよ、との神の命令が記されている。
となるとこの「殺すな」という戒めは、
「同朋であるユダヤ人同士の間では…」という枕詞がつくことになる。

現代社会では「殺すな」という規定は、人種・民族によらず、
人類一般に広げて受けとめられている。
しかしその現代でも、かなりの割合で死刑制度を支持する人がいる。
「悪いヤツは殺してもいい」ということか。

さらに戦争では、たくさん敵を殺した人間は「英雄」となる。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問に、明確に答え切るのは難しい。

むしろ、「我々人類は、この『殺すな』という戒めを必要としてきた」
そんな風に考えてみてはどうだろうか。
自然界の生き物の世界も、ある意味では「殺し合い」である。
しかしそこには「行き過ぎ」がない。
人間だけが、憎しみのために人を殺す。
金のために、不倫の発覚を防ぐために、欲望のために、快楽のために人を殺す。
そしてその「人を殺したい」という衝動は、
ふだん虫も殺さない人の心にすら構造的に組み込まれている...。

そのことを知っていたからこそ、聖書の綴り手たちは
「殺すな」という戒めを神からの命令として聞き取ったのではないだろうか。

ホッブスは「人間は、自然状態では万人の万人に対する闘争状態に陥ってしまう」と考えた。
そこで各人が自由を制限し、社会契約に従うことによって
平和に暮らすことを求めるようになった、というのである。
「十戒」もその意味では社会契約の一つと言える。
それは人類が、自らを「人の間に生きるもの」と意識したところに生まれた「倫理」である。

だから先の中学生の質問に、こう答えることができるかも知れない。
「なぜ人を殺してはいけないのか。それは私たちが人間だからだよ。
 明確な答えはない。でも私たちはそれを『選び取ってきた』んだよ。
 だからそれをやるのであれば、それは人間をやめることだよ」と。

古代イスラエル社会では「殺すな」という戒めは、同族ユダヤ人の間だけで機能した。
しかし、イエス・キリストは、「右のほおを打たれたら、左のほおを出しなさい」
「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と言われた。
「殺すな」という戒めを同族・仲間から、より広い範囲へと広げられた。
その教えに学びつつ、人の間に生きる者として「殺すのはいやだ」という心を育てたい。




『 盗まない、盗らない 』     出エジプト記20:15-21(2月1日)

アイオナ共同体賛美歌の「盗まない、盗らない」という歌は、
十戒の第8戒「盗んではならない」という言葉を現代的な意味で問い直す、出色の賛美歌である。

   ♪ 盗まない、盗らない、あなたの大地を
     盗まない、盗らない
     創られたもの、溢れ出すいのちを

原語の歌詞ではさらに深い広がりを持つ内容が歌われている。

   ♪ 自分のものでないものは盗みはしない
      荒らすことも、開発することも 汚すことも
      自然がその不毛を嘆くときまで
      正義が見えず話せず、足を引きずるまで
      自分のものでないものは、盗みはしない

「人の物を盗むのはよくないことだ」という約束は、人間社会一般で大切にされてきたルールである。
しかしそのルールが機能する背後には「所有」という概念が必要である。
「私的所有権を認める」という前提があって、「盗んではならない」という戒めも意味を持つ。

自然界の生き物の暮らし方は、ある意味で盗み合い・奪い合いである。
ライオンはチーターの獲物を奪い、その獲物を今度はハイエナが盗もうとつけ狙う。
カッコウはモズの巣に卵を産み、モズの親鳥の運ぶエサを盗んで子育てをする(してもらう)。
カッコウの子育てを見て私たちは「ズルいなぁ…」と思うが、
当のモズは淡々とカッコウの子育てに励んでおり、それが「自然」なのである。
人間だけが「所有権」の発想を持ち、そして「盗んではならない」というルールを自らに課している。

しかしその「所有」とは、どこまで認められるものなのだろうか。
人間は本来自分が所有できないもの(土地、水、空気)にまで所有権を主張する。
そしてその所有したものは「自分の好きなように使って構わないのだ」とうそぶいている。
しかしそのことで実は、資源の枯渇や環境破壊という問題を引き起こしている。
これは未来の子どもたちから可能性を盗んでいることになりはしないだろうか。

自然と共に生き、大地は子孫からの預かりものだと信じて生きたアイヌの人々は、
収穫の季節になると、こんな祈りをささげたという。
「神さまの大地の豊かな衣、その裾のかけらでもいいですから私たちに分けて下さい。
 それだけでもいただければ、私たちは生きていくことができます」。
大量生産、大量消費、そんな時代に生きる私たちは、
この祈りの心から大切なものを学ばねばならないのではないか。

ある日イエスはこう教えられた。
「あらゆる貪欲に気をつけなさい。人のいのちは持ち物によらないのである」。
この言葉を受ける私たちは、自分たちの貪欲を見つめ直し、
「盗まない、盗らない」という戒めを世代間にまで広げて考えることが大切ではないだろうか。




『 嘘と真実の語り方 』 出エジプト記20:12-17(2月8日)

幼い頃、祖父の家の郊外にあった神社は「恐怖の神社」であった。
大きな二枚岩の参道があるのだが、「嘘つきが通ると岩が閉まる」とよく脅された。
「どや?盾、いっぺん連れてったろか?」そう言われて大べそをかいて拒んでいた。
成長するにつれて、それが嘘であることが知るようになったが、
今度は自分も同じように弟や年下のいとこたちを脅していた。
何のことはない。こどもに「嘘をついてはならない」というルールを教えるために、
大人が嘘をついていたというわけである。

十戒の第9戒「偽証してはならない」という戒めは、
しばしば「嘘をついてはならない」と拡大解釈されてきた。
確かに嘘をつかないことは社会での大切なルールのひとつだと言える。
しかし、生まれてこのかた一度も嘘をついたことのない人間が、はたしてどれだけいるだろうか?

クリスマスが近付くと、大人は周到な準備をして嘘をつく。
展覧会やコンサートに招かれ感想を聞かれて、つい本心とは違う「ほめ言葉」を返してしまう。
闘病中の家族に本当の病名を告げられず、「大丈夫、すぐよくなるよ」と励まそうとする。
「家族を引き裂く真実よりも、家族を和解させるウソの方がいい」という
セネガルのことわざもある。

ベストセラー『バカの壁』の著者である養老孟司さんは、
「人間は『まっ赤なウソ』を欲しがる生き物だ」と言っておられる。
人は真実だけに囲まれた生活を続けていると息がつまってしまう。
それで時々現実を離れ、「まっ赤なウソ」を聞いて
安心して泣いたり笑ったりする場所を求めるようになる。
ヨーロッパでは昔からそういう場所を最も豪華な建物として作ってきた。
「それが劇場であり教会だ」と養老さんは言われるのである。

教会が「まっ赤なウソを語る場所だ」という指摘は物議をかもすものかも知れないが、
人間が真実だけに囲まれていたのでは生きづらくなってしまうという分析には、
傾聴すべきものがあるように思う。

第9戒は、そもそもは「偽証してはならない」とあるように、
法廷における証言についての規定である。
神の前で真実が明らかにされる、そんな意味合いも持っていた訴訟の場では、
決して偽りを述べてはならない、ということである。

出エジプト記23章には、さらに細かい訴訟についての取り決めがある。
基本的には弱い立場の人々に配慮せよ、という点が求められているが、
一方では「弱い者を曲げてかばってはならない」という言葉もある。
神の眼差しが向けられる裁きの場では、常に真実を語りなさい。
それが第9戒の目指すところであろう。

ただしそれは法廷・訴訟という局面の話である。
日常生活にはまた違った考え方があってもいいのではないか。

真実を語ることが人を深く傷つけることがあり、嘘を語ることでその心を受けとめ癒すことがある。
真実が希望を打ち砕くこともあれば、嘘が未来への意欲を支えることもある。
「嘘をついてもいい場合がある」― こういう考え方は決して「不信仰」ではないと思う。

ではどんな嘘ならついてよく、どんな嘘はダメなのか?
残念ながら聖書にはそのことを示す言葉は書かれていない。
しかし、その反対の事柄、真実の語り方については、示唆に富む言葉が記されている。

「愛に根ざして真理を語り、かしらであるキリストに向かって成長する」(エフェソ4:15)

これをひっくり返せば、嘘をつくという行為についても同じことが言えるのではないか。
大切なのは、真実を語るにしても、嘘を語るにしても、
そこに「愛」があるかどうか、ということだ。

自分の利益のために嘘をつく...過ちをごまかすために、誰かを陥れるために嘘をつく...
そのような嘘を、神さまは決してお許しにはならないだろう。
けれども隣人への愛に根ざした振る舞いの中で、嘘を語ることを選択する...
そんな嘘であれば、神さまはそれを「よし」とはされないまでも、
見て見ぬふりをして下さるのではないだろうか。




『 「足を知る」という生き方 』      出エジプト記20:12-17(2月15日)

TVを観ていて高価なギターを弾いているアーティストを見ると、
思わず「いいなぁ~」と独り言をつぶやいてしまうことがある。
家人に「そんなに欲しいんなら、買えば?」と言われると、
「いや、ええわ...」とお茶を濁す。
そこでいったん我慢の止め金を外したら、
欲望が際限なく増えていくことを無意識に予感しているのかも知れない。

十戒の条文をひとつずつ取り上げてきたが、最後の条文は
「隣人のもの(家、妻[夫]、奴隷、家畜)を欲してはならない」という言葉である。
以前の聖書では「むさぼってはならない」と訳されており、
原語では「止め金を外す(「ハーメド」ヘブル語)」という意味も持つ言葉が使われてる。

「となりの芝生は青く見える」という言葉がある。
自分が所有していない物で他人が持っている物を見ると、
羨望・嫉妬・やっかみの心を抱いてしまう...
そんな人間の心理をうまく表している言葉である。

人間の欲望のうち、肉体に関する欲望(食欲、睡眠欲、性欲)には限りがあり、
必ず満たされる時、充足の瞬間がやってくる。歯止めがある欲望だと言える。
しかし「何かを所有する」という欲望は止まることなく増殖してゆくという性質がある。

そのような欲望が「すべて悪いものだ」と言いたいわけではない。
それを持つことによって向上心が生まれ、努力する歩みへとつながることもあろう。
ただし、暴走を始め臨界点を越えた所有への欲望は、
他者へのむさぼり・他者との争いを生み出してゆく...。
そのことを忘れない方がいいと思うのである。

そもそも、なぜ「隣の芝生が青く見える」のだろう?
二つのことが考えられる。
常に人との比較で自分というものを考える心を持ってしまっている、ということ。
そして、今ある自分の現状に満足しない、感謝していない、
満足しようとしていないという心理がどこかにあるからではないか?ということだ。

逆に言えば、人と比べて自分が劣っていたとしても、
自分の中にしっかりとした「満たされた思い」があるならば、
隣の芝生は青く見えない、いや、青く見えたとしても気にならないのではないか。

「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい」
         (ヘブライ人への手紙13:5)
「むさぼってはならない」この戒めに応えて、
「足を知る」という生き方を目指す者でありたい。




『 裁くためではなく 』    出エジプト記20:18-21(2月22日)

モーセの十戒の学び、その最終回にあたり、
この十戒をイスラエルの民はどう受けとめたか、
さらにその後の歴史の中でどう位置づけられ機能していったか、
そして私たちはどう受けとめればよいのかを考えたい。

そもそも十戒が与えられたのは、
イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放され、
約束の地へ向かう旅の途中であった。
自由と解放を与えられた人々に、
新しい歩みの礎として授けられたのが十戒である。
神の救いがまずあって、
それに対する感謝の応答として十戒に従う歩みが作られていく。
「十戒を守ったらその報いとして救いを与えてやろう」というのではないのである。

主なる神は、厚い雲に覆われたシナイ山の頂で、
雷鳴と稲光を伴ってモーセに十戒を与えたと記されている。
その物々しい状況に対して、
人々がまっ先に抱いた感情は「恐れ=恐怖」であった。
十戒によって裁かれる、
いや「十戒を完璧に守ることができないゆえに裁かれる」
そのことを人々は恐れたのである。

そんな民に向かってモーセは語る。
「恐れるな。畏れよ。
これはあなたたちに罪を犯させないようにするためである」と。
「十戒が与えられたのは、裁くためではない。
 罪を離れて豊かに生きるためなのだ...。」
この言葉はそんなことを表していると思う。

ところが、この十戒や、それを元に展開された律法の戒めというものも、
一旦条文化されると、次第に人々の生き方・暮らし方を
型にはめるものとして機能するようになる。
そして律法の条文を元に人々を裁く者が現れる。
イエスの時代の律法学者・ファリサイ派の姿である。
律法の条文はここで再び人々に「恐れ」を抱かせるものとされていった。

イエスは彼ら律法主義者たちを正面から批判し、
時に律法を破る振る舞いも見せられた。
イエスは律法を無視されたのか?そうではない。
「恐れではなく、畏れを抱き、罪を犯さず豊かに生きる」
その十戒の原点を取り戻そうとされたのである。

十戒・律法のひとつひとつの条文、さらに聖書の教えというものは、
人を裁くためではなく、人が豊かに生きるために、与えられたものなのだ。
それがイエス・キリストによって示された、人と十戒(律法)との関係、その大原則である。

この大原則を忘れずに、私たちもまた十戒や聖書の言葉に導かれて、
神さまの前に「豊かな歩み」を生み出すことを目指したい。




『 旧くて新しい、こころの歌 』   詩編33:1-3(3月15日)

懐かしい歌をうたう、という体験には、他の行動では得られない郷愁がある。
その歌をうたった時の風景や空気感、それこそ気温や匂いまで思い出すような質感が伴う。
心に刻まれた歌というのは、ある意味でその人の人生の一部・身体の分身なのかも知れない。

1997年に発行された『讃美歌21』には、旧讃美歌(1954年版)から移行する中で収録されなかった曲、
すなわち「削られて」しまった讃美歌がかなりある。
懐かしの讃美歌が削られたことに対する不満の声を耳にすることも多い。
懐かしの讃美歌と共に刻まれたその人自身の信仰の歩みそのものが、
まるで否定されたかのような気分になってしまうのであろう。
その淋しい気持ちはよく分かる。

しかし一方で新しい時代のニーズに応える新しい讃美歌も必要性である。
歌集を作る上ですべての曲を収録するわけにはいかないので、取捨選択をせざるを得ない。
これも時代の流れの中では致し方のないことである。

削られた讃美歌にはそれなりの理由があるという。
「共同体の祈りというよりは、個人的・情緒的な内容のもの」
「信仰生活の営みを『戦い』のモチーフで鼓舞するもの」
そういった讃美歌は落とされる傾向にあったと言われる。
それはそれで「ごもっとも」な判断である。

言わば「その讃美歌への郷愁」という心の問題よりも、
「讃美歌・礼拝はこうあるべき」という頭の課題を優先したということであろう。

しかし私たちは心を持った人間である。心も大切にしたいと思う。
歌集から削られたとはいえ、それらの讃美歌が無くなったわけではない。
今回の「第3礼拝」のように時には懐かしい思いに浸ってそれらをうたうという時があってもいい。
その歌を大切にうたう人がいる限り、その歌が歌集から外されても、その歌は死なない。

「新しい歌を主に向かってうたえ」。
詩編でたびたび繰り返されるフレーズである。
「新しい歌」とは何か?
「神の前につねに新しくされる」とはどういう体験だろうか?

いつもいつも新曲を発表すること、新しいことに取り組み続けることだろうか?
そうではないと思う。
いつも新曲でなくてもいい。リバイバルでもカバーでもいい。
たとえ同じ歌を繰り返しうたうということであったとしても、
そのつど心に感動の思いが立ち上がるならば、それが「新しい歌」なのだと思う。

昨日と同じ自分でも、その自分に「飽きて」しまわない限り、私たちは常に新しくされる。




『 無理に負わされた十字架 』  マタイによる福音書27:27-32(3月22日) 
 
イエスが十字架につけられるためにゴルゴタの丘へ引かれていく途中、 
「シモン」という名のひとりのキレネ人(今のシリア地方出身者)が 
イエスの代わりに十字架を背負って歩いたことが記されている。 
マルコの同じ箇所には「アレクサンドロとルフォスとの父シモン」と記されているところから、 
この親子は初代クリスチャンの間では結構知られていたのではないか、との推測もなされている。 
 
使徒言行録の13章には、パウロの宣教を支えたアンティオケア教会の信徒のひとりに 
「ニゲルと呼ばれるシメオン(シモン)」なる人物の名が記されている。 
「ニゲル」とは「黒い」という意味であり、黒人だったということも考えられるが、 
この「ニゲルと呼ばれるシメオン」は、北アフリカ・シリア出身のシモンの存在を思い起こさせる。 
 
さらにローマの信徒への手紙16章には、 
「主に結ばれ選ばれた者ルフォスとその母によろしく」という記述がある。 
続けて「彼女(ルフォスの母)は私にとっても母なのです」と記されていることから、 
パウロとこの母子とは、とても親密な関係にあった人であることがうかがえる。 
 
「シモンと、その息子であるアレクサンドロとルフォス」。 
「アンティオケア教会の信徒、『ニゲル』と呼ばれるシメオン」。 
「主に結ばれ選ばれた者ルフォスとその母」。 
いずれも初代教会の歩みにとって、とても大切な働きをした人たちである。 
 
これらの聖書に記された個々人が、 
同一人物(または家族)であるということを裏付ける証拠は何一つ存在しない。 
しかし、これらの人々が同一の家族だったのではないか、という空想は、 
私たちのイマジネーションを激しく刺激する。 
そこにはこんな物語が浮かび上がるからである。 
 
 『キレネ人シモンは、過越の祭りに参加するために、はるばるエルサレムにやって来た。 
  そこでイエスの裁判と処刑の現場にたまたま遭遇し、 
  イエスに代わって無理矢理に十字架を担がされ、ゴルゴタでの一部始終の出来事を目撃した。 
  この体験によって彼の心の中には、 
  「この十字架でひとり淋しく殺されていった人は、いったい誰なんだろう?」 
  そんな思いがわき起こってきた。 
 
  その後シモンは「このイエスこそ救い主だ!」という使徒たちの宣教に触れ、 
  彼もまたそのイエスを信じる信仰に導かれていった。 
  そして初代教会を支える、大切な信徒のひとりとなっていった...。」 
  .....そんなストーリーである。 
 
「無理に負わされた十字架」からそのような物語が生まれたのだとしたら、 
それはとてもステキなこと、励まされることだと思う。 
なぜなら私たちにもしばしば、「無理に負わされるように思える重荷を担わねばならない、 
そんな風に感じる体験をすることがあるからだ。 
 
しかし、たとえ不本意ながらも歩んだ道でも、そこにもきっと神の導きがある... 
そんな風に信じることができれば、私たちは新しい生き方へと向かっていくことができる。




『 ののしる声、その心の奥に...』   マタイによる福音書27:27-44(3月29日)

人をののしるという行為は、本来とてもイヤな行動である。
それを受ける人がイヤな思いをするということだけではなく、
その声を人に向ける当人にとっても決して心地よいものではない。
なぜなら、私たち人間が言葉を持つに至ったのは、
心の内にある思いを人に届けつながり合うためであり、
ののしるという行為はそのつながりを断ち切るものだからである。

しかしそれでも人はしばしば誰かをののしり、
つながりを断ち切る行為に身を委ねてしまう。
そこには決して正当化できないけれども、
その人なりのやむにやまれぬ悲しい理由があるのかも知れない。
アメリカで、ただ「自分たちは白人である」ということだけを根拠に優越感を抱き、
黒人たちをののしる「プア・ホワイト(白人低所得者)」たちのように。
全共闘時代、裕福な暮らしの中で運動に参加する学生たちに憎しみの眼差しを向け、
力で制圧することで心の快哉を叫んだ同世代の地方出身の機動隊員のように。

イエスが十字架にかけられるため引かれていった時、
様々な人がイエスをののしった、ということが記されている。
最初にそれを行なったのは、総督の兵士たち、すなわちローマ兵士であった。

当時のローマ帝国は地中海沿岸地域を制圧した超大国であったが、
その支配地の治安・警備を担当する兵士についてはローマ人だけではとても数が足りず、
実際に民衆に向き合う下級兵士に関しては、現地調達が恒例だったという。
ピラトの下に配置された兵士の中には、シリアやパレスチナの出身者、
そしてユダヤ出身の者もいたことであろう。

強い「選民意識」を抱くユダヤ人社会の中で、占領側のローマの手先になるということは、
当然ユダヤ民衆からは嫌われるポジションにつくということである。
それは当時の「徴税人」たちの置かれていた状況と重なる部分がある。
それでもそれを承知でそのような立場を選択するところには、
きっとそれぞれの事情というものがあったことだろう。

貧しさの中で、そうでもしなければ生きていけなかったのかも知れない。
あるいは無理矢理徴用されて、逆らうことも出来ずに仕方なしになった人も...。
しかしそんな事情はお構いなしに、民衆からは「ローマの犬」と言われ嫌われる毎日...。
そんな彼らの鬱積した憤りが、イエスへのののしりとなって噴出したのではないだろうか。
「何だ?こいつが、こんなヤツが『ユダヤ人の王』なのか?」と...。

イエスはこれらのののしりの言葉に何ら反撃することなく、何も言い返すことなく、
じっと黙って十字架に向かわれた。
ルカによる福音書の記述に沿うならば、
「父よ、彼らをお許し下さい。自分が何をしているのか知らずにいるのです」と、
罪の赦しを願うとりなしの祈りもささげられた、とも記されている。

イエスは分かっておられたのではないだろうか。
ののしる声のその裏側に、それぞれの悲しい事情があることを。

私たちもまた、誰かにののしられ、批判を受け、
心を深く傷つけられることがあるかも知れない。
あるいは逆に、人に恨みを抱かせるようなことをしてしまうかも知れない。

しかしそのようにののしりの声をあげるその人自身が、
実は一番解放されなければならない「悲しい現実」を抱えた人なのではないか...。
そんな風に考えること出来る心のありようを、求める者でありたい。




『 おくりびと 』  マタイによる福音書27:45-54(4月5日)

教会の葬儀において、故人のことをあまりよく知らない立場で司式をすることがある。
できるだけ故人に関するお話しをうかがい、それをもとにその方の人生を再構築し
「この人生には意味があった」と宣言する...。それが葬儀を司式する者のつとめだと思うが、
故人を良く知る者だけがそれを果たせるわけではない。
むしろよく知らなくてもできる役割、知らないからこそ担える役割がある。
それが「おくりびと」の役割であろう。

イエスの十字架のそばにたたずんだ、ひとりの百人隊長の姿に注目したい。
新約聖書には何人もの百人隊長が、
イエスや弟子たちとの間にまんざらでもない関係を持っていたことが記されている。
ユダヤの民衆とは対峙する立場であったローマの兵士である彼らの中にも、
イエスの生きざまに「何か」を感じる人がいたのかも知れない。
中には洗礼を受け、キリストを信じる歩みに入った人もいた。(コルネリウス/使徒言行録10章)
百人隊長の中には、権力を笠に着て威張り散らす人ばかりではなく、
真実を見抜く思慮深さを備えた人がいたということであろう。

イエスがゴルゴタの丘で十字架に架けられ、
「わが神、わが神、なぜ私を見捨てられるのですか」と絶望的な叫び声を挙げた時、
その姿をいろんな人がいろんな思いをいだきながら見ていた。
「そら、エリヤを呼んでいる!」とからかう者、
「ついにこの忌々しい男をはりつけにできた」とほくそ笑む者、
悲痛な思いで最期を見届けた女性たち.....。
(男の弟子たちは見捨てて逃げ去ってしまっていた)
それぞれが「激しく感情を動かして」その情景に向かっていた。

そんな中で、ひとり冷静に、客観的に事柄を見つめ、それを受け入れた百人隊長。
彼は言った。「本当にこの人は神の子であった」。
これはある意味で信仰の告白とも言える言葉である。
彼はどれほどイエスのことを知っていただろう?
ほとんど知らなかったと言っても過言ではない。
しかし多くの知識を持つ人が必ずしも良い信仰を持てるわけではない。

百人隊長は知識はなかったが、十字架の出来事に彼なりの誠実さで向き合った。
そんな彼こそ、絶望の苦しみの中に置かれたイエスにとって、
最もふさわしい「おくりびと」だったのではないか。




『 そこにわたしはいません 』  マタイによる福音書28:1-8(4月12日 イースター礼拝)

人類は自然界の生き物の中で「埋葬」を行なう唯一の存在である。
約6万年前のネアンデルタール人の時代の化石に、すでにその痕跡があるという。
世界には文化や種族や宗教によって様々な埋葬の方法があるが、
どんなに文化や宗教が違っても「葬儀をしない」という民族は存在しない。
家族や近しい人が亡くなると「悲しい」という感情を抱く...
それは人類共通の思いだと言える。

お墓 ― それは単に亡くなった人の亡骸を埋葬した場所にとどまらない。
節目ごとにそこを訪れ、花を手向け、香を焚き、
祈りをささげることでその人のことを想い起こす...。
お墓とは言わば亡くなった人の思い出に浸る場所、故人と出会う場所なのである。

十字架に架けられたイエスのなきがらを、人々は「急いで」墓に葬った。
安息日が始まりかけていたからであった。
そして十分なお別れもできぬまま、遺体を墓に納め墓穴の蓋をした。
そうしてまんじりともせずに安息日を過ごし、
日曜日の明け方、墓に向かったのは、最後までイエスに従った女性たちであった。

「まだ十分な葬りの手順を踏んでいない。ちゃんとお別れできていない...」
そんな思いが彼女たちの胸の内にはあったことだろう。
「せめて香油を塗って葬りの準備をさせていただきたい...」
「お墓に行けばあの方に会える...」
「悲しくて仕方ないけれどイエスに会える...」と。

しかし墓に着いてみると入り口の石はどかされ、天使が立っていて言った。
「あの方はここにはおられない」。
「墓」という場所、人の死の現実をつきつけ、
過去の出来事の悲しみに暮れる場所には、イエスはおられない。
天使はそう宣告する。

それは「イエスのいのちは終わっていない」
「イエスの出来事は過ぎ去ってなどいない」という宣言ではないか。
天使は言う。「ガリラヤであの方にお会いできる」。

イエスのふるさと、ガリラヤ。
「辺境の地」と呼ばれ、貧しくとも明日に向かって生き続けている人々。
そんな人たちのいのちの息吹が息づくところに、
イエスも共におられるということだと思う。

イエスの十字架の死を悲しむために、墓に向かおうとする人々にイエスは言われる。

「そこにわたしはいません」。

むしろ、イエスの十字架に至るいのちの歩みをこそ覚える。
そしてその同じような歩みを自分もたどろうとする、
そんな小さなひとつひとつのいのちの中に、よみがえりの主は共におられる。
そのことを信じ、今も生きておられるイエスと共に歩む者となりたい。




『 日常の営みの中で 』  マタイによる福音書28:5-10(4月19日)

4月は日本では桜の季節であり、
新学期、新入学生や新入社員の初々しい姿を見られる時期でもある。
諸外国では9月が入学の国も多く、日本は4月に入学を迎える世界でも珍しい国だ。
桜の花と共に「さぁ、また新しく始まるぞ...」
そんな心機一転の気分になれる感性を養われてきた国だと言える。

桜のシーズンはまた、イースターの季節でもある。
この時期にイースターを迎えられる幸いを感謝したい。
なぜなら、イースターとはイエス・キリストのいのちが十字架の上で終わったのではなく、
「また新しく始まる」、そのことを祝う祭りだからだ。
もちろん他の国の人々もそれなりの喜びの中でイースターを祝うことだろう。
しかし日本はそこに桜の花があり、新しい時を迎えた喜びも心機一転の気分もひとしおである。
(もっとも実際は、年度替わりとイースターが重なって、忙しさが倍増することになるのだが...)

イエスが新しいいのちとなってよみがえられた時、
最初に出会った女性たちに「おはよう」と声をかけられた。
以前の口語訳聖書では「平安あれ」と訳されていた。
これはユダヤ人にとってのあいさつ「シャローム」(「平安」の意)という言葉で
声をかけられたと受けとめてよいだろう。

この翻訳の変更は、ささいなことのようではあるが、
結構大切なことを示してくれていると思う。
よみがえりのイエスの最初の言葉が「平安あれ」(または「安かれ」)という、
もったいつけた「重い」言葉であることが、むしろふさわしいように思う感覚で、
イエスの復活を受けとめてきた一面がありはしないだろうか。

しかしイエスはそんな私たちの思い込みを打ち破るように
「おはよう!」「やぁ!」と語りかけてこられるのである。

「復活のイエスとの出会い」とはいったいどんな体験だろうか。
それはスペシャルな体験でなければならないのだろうか?
いいえ、そうではなく、
日常のささやかな営みの中にイエスのいのちとの出会いはある。
それを示してくれる「シャローム」だ。

「ガリラヤでのよみがえりのイエスとの出会い」。
それを特別な出来事として大上段に構えて生きるのではなく、
気負わず、されど誠実に、日常の営みを過ごす中で、
そこかしこにおいて与えられるイエスとの出会いを大切に受けとめる者でありたい。




『 神の国への旅路 』  マタイによる福音書28:16-20(4月26日)

2003年1月からずっと続けてきたマタイによる福音書の連続講解メッセージも、
いよいよ今回が最終回となる。感慨深い思いで最後の箇所を取り上げている。

マタイ福音書は他の福音書に比べて、ユダヤ的価値観の強い福音書だと言える。
マルコやルカがユダヤ教の価値体系(律法)から自由なイエスを描くのに対し、
マタイは「律法の成就者」としてのイエスを描く。

もちろん、無批判にユダヤ的伝統を誇っているのではない。
むしろ同胞であるユダヤ人に対する批判は、非常に厳しいものがある。
しかしこれも、ユダヤを大切に思うがゆえの「身内への厳しさ」と言うことができるだろう。

ところがそのような思いで福音書を記してきたマタイが、
その最後の最後、締めくくりのところで描いているのは、
「全世界に出て行ってすべての民をわたしの弟子にせよ」と語るイエスの姿である。
これまでのところでずーっとユダヤ人にこだわってきたマタイが、
ここに来て異邦人も含む「すべての人々」への伝道を命じるイエスを描いているのは、
少し不思議な感じがする。

しかし逆に考えればこのことは、イエスの生涯、その業と言葉の素晴らしさは、
マタイのような人をもってしても、ひとつの枠の中に納めることが出来なかった、
そのことの現れとも言えるのではないだろうか。

このマタイの最後に記された「イエスの宣教命令」は、
歴代の教会がまだキリスト教を知らない人々に向けて宣教・伝道をするという行為を
生み出し続けるエネルギーを与えた言葉だと言える。
「なぜ教会は伝道するのか?伝道とは何なのか?」と問われれば、
「このマタイに記された『主のご依託』に従って、
 人々にバプテスマ(洗礼)を授けキリストの弟子とすること」、
そう答えるのが模範解答だ。

しかし「伝道って、そんなもんだろうか?」という思いを抱いてしまうのは私だけだろうか。伝道とは、まるで企業が顧客を増やすように、「信者」を増やす営みのこと...
そんな風に躊躇なく言える考え方に、小さな違和感を感じてしまうのである。

何よりも端的に、イエスは宗教集団を作ろうとして活動されたわけではない、
自分を信じる信者を増やそうとしてあのような生涯をたどられたわけではない、
そんな風に思うからである。

むしろイエスの働きは「ひとりひとりに神の国を指し示す」そんな働きだった。
イエスが宣教の初めに言われたは「神の国は近づいた。」という福音の到来であった。
特にイエスは、当時の社会の中ではじき出されていたような人をこそ訪ね、
そして彼らにも与えられる、いや彼らにこそ与えられる「神の国」の希望を語られた。

では、その「神の国」とは何か。どういった世界が想像されるだろうか。
「キリスト教という一宗教が世界を支配し凌駕する」そんな世界だろうか?
どうも私は、そういう世界がイメージできない。そんな世界が来るとは思えない。

むしろ、いろんな信仰・価値観を持つ人々が、
それを互いを遠ざけ排除する道具とするのではなく、
垣根を越え尊重し合い理解し合う、そして平和を願い共に生きる。
それが「神の国」なのではないかと思うのだ。

そんな「神の国」に至る道のりは、必ずしも楽しいお気楽な歩みばかりではないだろう。
時には苦しみや重荷を負わねばならないことがあるかも知れない。
イエスはまさにそのために、十字架の死を引き受けなければならなかったのだから。
しかしその「十字架の死」は「絶望的な終わり」ではなく、
よみがえりのいのちの「新しい始まりだった」ということ。

そのことを信じて、イエスの復活のいのちに導かれて、神の国への旅路を共に歩む。
必要とあらば、自分もその神の国の実現に至る小さな歩みに加わる。
そんなメッセージを携えながら、神の国への旅路を共に歩む群れ。
それが私たちにとっての「伝道」であり「宣教」なのではないだろうか。

「あなたがたは行って、すべての民を弟子とし、彼らにバプテスマを授け、
 私が命じておいた一切のことを守るよう教えなさい。」

マタイの最後に記されたこのイエスの言葉を、
「クリスチャンよ、邪教との戦いに打ち勝って、
 世界中の人々をひとり残らずクリスチャンにする時まで頑張って歩みなさい」
そんな風に受けとめるのではなく、
「神の国への旅路を共にたどっていこう」という、
イエスからの呼びかけの言葉、招きの言葉として受けとめたい。

そして、本当の最後の最後、しめくくりに語られた言葉、
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」、この言葉を信じながら、
よみがえりのイエスと共に、神の国への旅路をたどる、そんなひとりひとりでありたい。




『 愚かな民、されど「神の民」 』     出エジプト記32:1-14(5月3日)

「できのよくない子ほど可愛く思う親心」のようなものがある。
優秀で、完璧で、非の打ち所のない存在「だから」愛する、というのではなく、
不完全で、欠点だらけで、失敗ばかりしている存在「なのに」なぜかいとおしく、
見放すことができず、大切に思ってしまう...そんなメンタリティ。
このような心が、どれだけ私たちの歩みをあたたかく支えてくれるか、ということを思う。

エジプトの奴隷の苦役から、神の導きによって解放されたイスラエルの民。
その新たな歩みへの指針となる『十戒』を授かるために、
モーセが山に登っている間に事件は起こった。
指導者不在の不安を解消するために、人々は金の装飾品をかき集め、
子牛の像を作りこれを拝み始めたのだ。
それはまさに十戒で禁じられた「偶像崇拝」の行為そのものである。

偶像崇拝の禁止とは、単に刻んだ像を拝むことを禁じただけではない。
自分の欲望に都合よく仕えてくれる神を求める行為、
神と人との関係の主客転倒したありようが禁じられたものである。

「信仰とは、私の願いを聞く神を求めることではなく、 
 神の求めに私はどう従うのか、それを尋ね求める営みである。」

これは私たちにとって大切な信仰の基本だ。

しかし人間とは弱いもので、その信仰の基本・正しさだけで生きていける存在ではない。
人生の試練の中で時に迷い、時に間違い、信仰の基本から外れてしまうことがしばしばある。
金の子牛を拝むイスラエルの民は、そんな弱い人間の姿を象徴するものではないか。

民の過ちに対して、最初、主なる神は激怒し、「この民を滅ぼす!」と叫ばれた。
旧約聖書の神さまは、ときどき感情的で人間的な姿を見せる。
この神の怒りに対し、モーセは執り成しの言葉を返した。
「どうか怒りを鎮めて下さい。この民はあなたの民ではありませんか」。

「あなたの民」「神の民」。
神がイスラエルを選ばれたのは、なぜだったか?
それは、決して彼らが強く立派だったからではない。
「他のどの民よりも貧弱であったから」(申命記7:7)であった。

「あなたの民に下す災いを、どうか思い直して下さい」
モーセの懇願を聞いて、神は裁きを思い止まられた。

「神の民」の歴史とは、その選びにふさわしい栄光の歴史ではない。
むしろ愚かさをさらけ出しつつ、それでも注がれる神の愛を受け続け、赦されながら、
かろうじて歩んで来れた歴史なのである。




『 遠くからそっと見つめる 』  ヨハネによる福音書1:1-18(5月10日)

世の中にはいろんな愛の形がある。
激しく狂おしく、惜しみなくすべてを奪う「激情型」の愛。
じっとりとまとわりつき、時にうっとおしく思える「粘着型」の愛。
ドライでクールで、あるのかどうか分からないような涼やかな愛。
「愛」とは、人が人を(あるいはあらゆるものを)「大切に思う気持ち」のことである。
その愛の示し方、現れ方は千差万別、人によって様々である。

そんな中で私たちに最も力を与え、
また最も深いところで支えてくれる愛の姿とはどんなものだろう?
それはモノやカタチに表される分り易い愛よりはむしろ、目に見えない愛、
手にとって確かめられないけど「確かにそこにある」と感じられる愛ではないだろうか。

「遠くからそっと見つめる」そんな愛の姿がある。
このような愛は、追跡して取り出して証明できるものではない。
それは感じるもの、ただそこに「ある」と信じるしかないものである。
その意味で、それはとても不確かで頼りない愛の姿だと言える。
にもかかわらず、そのような愛を体験できた人、信じることができる人とは、
人生の根っこをしっかりと支えられた人と言えるのではないか。

ヨハネ福音書では重要なキーワードとして「愛」という言葉が用いられる。
その愛とは「アガペー」の愛であり、
「これこれのことをしたら愛してやろう」という条件付きの愛ではなく、
見返りを求めずにただその存在そのものを大切に思う愛である。
「それが神の愛だ」といのがヨハネ福音書の基底にあるメッセージである。

ではその神の愛は、どのような仕方で人間に迫ってくるものなのだろうか?
圧倒する形で、誰もがそれにひれ伏さざるを得ない仕方で迫るものだろうか?
むしろそのように劇的な仕方ではなく向かってくるものなのではないか。
「言は自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(ヨハネ1:11)とあるように、
それは「信じたい、受け入れたい」と願う人にしか感じられないものかも知れない。

それは言い換えれば、「遠くからそっと見つめる」、
そんな神の愛なのではないだろうか。

最後にひとつ、新聞の投書の記事を紹介したい。
今日は「母の日」であるが、どちらかというと「父の日」にふさわしい記事かも知れない。
この文章を読みながら、「遠くからそっと見つめる」、そんな愛の姿に思いをめぐらせたい。

 「父さん見てね 息子の晴れ姿」 (京都府向日市 48歳 公務員・女性)

  主人は2歳と3歳の子供を残して病死、母子3人で細々と暮らしてきた。
  その2歳だった長男が今年、成人式を迎えた。
  振り返ると、子供の成人なんて、はるか遠い先と思っていた日が、
  ついこの間のような気がする。 

  子供たちが小学校のころ、主人が残したテープを聞いた。
  主人はクリスチャンで、
  「お父さんの新しい誕生日にでも聞いて下さいネ」で始まる優しい語り口に皆、涙した。

  中学に入ったころ、自分で「不良やった」と言うくらい荒れていた長男は、
  3年生になって目覚め、勉強に励んだ。
  高校では部活に専念、友人にも恵まれたが、大学受験は失敗、浪人生になった。

  ある日、テレビを長時間見た後、
  「こんなことしてたら、父さんが怒ってくる」と、自分の部屋に入った。
  父親を理想として慕っていると、ひしひしと感じた。
 
  昨年春、父親と同じ大学に入った。

  そして迎えた成人式。
  この機会に「背広を新調すれば」と言うのに父親の古い背広を着て行った。
  背丈は合うものの、だぼだぼのズボンのウエストをベルトで締めて、
  さつそうと出かけた。
 
  お父さん、見てますか。
  あなたの息子ですよ。

  私はようやく肩の荷が下りたような気がした。 

            (1999年1月27日)




『 恵みの上に、さらに恵みを受け 』  ヨハネによる福音書1:14-18(5月17日)

神戸市内で新型インフルエンザの国内初感染が確認された、とのニュースの中、
日曜日の諸行事についてどう対応するか、判断を迫られた。
事なきを得たいのであれば、すべて取りやめるのが一番だろう。
しかし社会そのものは止まらない、止めるわけにはいかない。
そんな中で礼拝をどうするか。

結局CSはお休み、第3礼拝(音楽礼拝)は延期し、
内容を切り替えて礼拝は行なうこととした。

改めて「何ごともない日常があたり前のように続くのではない」ことを思わされた。
「あたり前」に慣れ切ってしまうと、
判断できない「思考停止状態」になってしまうように感じた。
恐らく、阪神大震災の時にはもっと判断しづらい状況の中で、
それぞれの動きが選び取られていったことだろう。

カミュの『ペスト』という作品では、
ペストに罹患し封鎖された街の中での、様々な人の動きが描かれていた。
当初「これは悔い改めを拒んだこの街に対する、神の裁きだ!悔い改めよ!」
そのような説教をしていた神父がいた。

しかしその後、ひとりの無垢な少年が感染し無念にも死んでいくという不条理を体験し、
突如考え方を変え、ペストと闘う人々の群れに自分も加わっていき、
最後は自分もペストにかかって死んでしまう...そんな姿が描かれていた。

「天の力が何とかしてくれる」というのでなく、
「自分たちで何かをせねばならない」と変えられていく姿。
そこには「突発的な出来事を目の前にして、宗教は無力だ」ということが示されている...
そんな受けとめ方もできるだろう。

しかし「神に祈り、奇跡的な解決をお願いする」というののではなく、
「この大変な状況の中を自分はどう生きていけばよいのか」という問いに関しては、
祈りの中からきっと何らかの道が示されるのだと思う。

今回のような状況の中をどう振る舞えばいいのか。
聖書のどこを見ても具体的に「こうせよ」という言葉は書かれていないだろう。
しかし私たちにはひとつの指針が与えられている。
それはイエス・キリストである。
「もしイエスなら、どうされるだろうか」そんな問いを持つときに、
そこに道筋が示されていくと信じたい。

今日の聖書には、イエスを信じる中で「恵みの上にさらに恵みを受ける」と記されている。
たとえ不条理が世を覆っても、それでもその中を恵みへと導かれると信じる、
それが私たちに与えられた信仰による希望ではないだろうか。

「恵み」とは、必ずしも自分たちの益になることだけではないかも知れない。
「でも、この出来事にも意味があったのだ」といつの日かふり返ることができる、
そんな体験が与えられることも「恵み」と言えるのではないか。




『 荒れ野で叫ぶ声 』   ヨハネによる福音書1:19-30(5月24日)

人は誰でも「自分の持論・正論」を持ちながら生きている。
しかしその「私の正論」を突き詰めてみれば、そのほとんどは誰かの受け売りであろう。
私たちが正論を断定的に語るとき、それはその考え自体に確固たる自信があるというよりは、
かつてその同じ意見を聞かされて、深く納得した体験があったからなのではないか。
(タクシーの運転手さんにはきっぱりと意見を言う人が多いが、
 「それは彼らが長時間ラジオを聞いていることと関係がある」という指摘がある。)

ふだん私たちは自分で物事を考え、判断して生きていると思い込んでいる。
しかし実は、他人の意見を繰り返しているのに過ぎないのかも知れない。
それが「悪い」と言いたいのではない。
私たち人間にはそういう傾向があることを忘れない方がいいのでは?
ということが言いたいのである。

「人の意見を受け売りで語る」というと、
主体性のない薄っぺらな人間を象徴しているようにも思える。
しかし古来より、優れた見識や深い洞察を伴った思想というものは、
実はそのような形で受け継がれてきたのではないだろうか。

孔子は「述べて作らず、信じて古(いにしえ)を好む」と語った。
自分の教えてることはオリジナルではなく、先賢の教えを祖述しているに過ぎない...、
そんな立ち位置に自分を定めて語っていたということだ。
この謙虚なたたずまいこそ、真理を伝える人にふさわしいありようではないだろうか。

バプテスマのヨハネは、イエス・キリストの活動の備えをした人である。
ある日祭司やレビ人との対話の中で、「あなたはどなたですか?」という質問に対し、
「わたしはメシア(救い主)ではない」と答える。
「ではエリヤですか?それとも偉大な預言者のひとりですか?」という問いにも
ヨハネは「違う!」と答えた。

「ではあなたはどなたなのですか?」という問いに対して、
ヨハネは「私は荒野で叫ぶ声である」と答えている。
別の箇所では、ヨハネに従っていた人々が次々にイエスの方に移っていった時、
心配する自分の弟子たちに「あの方は栄え、私は衰えねばならない」とも語った。

自分が「真理・光・命」なのではなく、イエスこそ「真理・光・命」であり、
自分はそのイエスを指し示す一本の「指」でしかない。
ここにヨハネの「述べて作らず」の姿勢がある。

私たちはしばしば自分を指さそうとする。
そんな誘惑にかられるとき、私たちは罪を犯してしまう。
今日の聖書に記されたヨハネの振る舞いにならい、
私たちも「自分が真理!」となるのではなく、ただ神の真理を指し示す存在でありたい。




『 水のバプテスマ、霊のバプテスマ 』  ヨハネによる福音書1:29-34(5月31日)

バプテスマのヨハネはヨルダン川で人々に「罪の悔い改めのバプテスマ」を授けていたが、
彼はやがて来たるキリストについてこんな風に言っている。
「私は水でバプテスマを授けているが、
私の後から来る方は聖霊によってバプテスマを授けるであろう」。

「バプテスマ」とはもともと「浸す」という意味であり、水と関係する儀式であった。
「罪を洗い流し、赦されて新しく生きる」という意味からすれば、
水のバプテスマこそ「新生」にふさわしいように思える。

ではヨハネの言う「(イエスの)霊によるバプテスマ」とはどんなものか。
福音書にはイエスが直接誰かに洗礼を授けた、という箇所はない。
しかしマタイ福音書の最後には、いわゆる「イエスの宣教命令」と呼ばれる、
「すべての人にバプテスマを授けよ」というイエスの言葉が記されており、
これをひとつの根拠としてキリスト教ではバプテスマを授けるという儀式を行なってきた。

けれどもそのようにして教会で受け継がれたバプテスマは「水のバプテスマ」、
即ち、ヨハネ式のバプテスマである。
そしてそれは、現在の教会においては入会の儀式、
つまり教会という組織の中でのひとつの制度化された宗教行事になっている現実がある。

これに対して「霊のバプテスマ」とは、人間の作り上げた制度や組織の介在しない、
もっと直接的な神さまからの働きかけ、と理解することはできないだろうか。
意気消沈していた弟子たちが、聖霊の導きを与えられると
力強く立ち上がったというペンテコステのような出来事。
これこそ「霊のバプテスマ」と言えるのではないか。

人によってそれは、雷に打たれたような衝撃的な体験かも知れない。
あるいは他の人にとっては、その時ははっきりとは分からなかったけど、
確かに与えられた微弱な電波のようなものであったかも知れない。
いずれにしてもその人の人生にふりかえりと反省をうながし、
弱さの中に居直らない生き方へと変えられてゆく。
そんな体験が与えられたならば、それが「霊のバプテスマ」なのではないか。

では水のバプテスマは不要なのか?
そうではないと思う。
「霊によるバプテスマという直接的な神の導きがあるから、私は大丈夫!」
このような信仰は、実はとても危ないものだと言える。
それはひとりよがりな信仰、自分を神とする考え方につながってしまう恐れがある。

私たちの信仰がひとりよがりのものにならないためには、仲間の存在が必要だ。
「この教会の仲間に、私も新たに責任をもって加わります!」
そんな決意の儀式として、水のバプテスマがある。
そのように考えて、水と霊、それぞれのバプテスマを大切に受けとめたい。

                       (ペンテコステ礼拝)




『 「神と共に歩む」ということ 』 出エジプト記33:12-17(6月7日)

人には誰でも「親の存在がうるさく感じられる時期」というものがある。
幼い頃は依存し頼りにしていた親が、ある時から疎ましく感じられ、距離を置きたくなる...。
「思春期」と呼ばれる季節に付きものの光景である。

親は親で、一緒にいればつい説教のひとつもしてしまう。
「それでは子どものためにならん」ということで、
「もうここからは自分一人でやって行け!」そう言って突き放す時期も必要なのだろう。

エジプトを脱出し「約束の土地」を目指すイスラエルの人々と、
彼らを救おうとされた神との関係は、そんな親子の関係に似ているかも知れない。
旅の途中で何度も罪を犯す民の姿を、神は強い憤りをもってご覧になるが、
けれども決して見捨てられはしない...そんな流れの中で、物語は進行してゆく。

今日の箇所では「さぁ、約束の土地に向かって出発しなさい!」
そう命じる言葉に続けて、神は奇妙なことを言われる。
「しかしわたし(神)はあなたの間にあって上ることをしない」。
その理由は「途中であなたを滅ぼすことがないためである」と記されている。

人々がエジプトで奴隷の苦役に置かれていた時、神はこの民を救う決意をされた。
弱い人の側に立ち、解放を与える神の姿がそこにある。
しかし、そのようにして救われたイスラエルの民は、
決して君子の集団ではなく罪人の集まりだった。
「お前たちと一緒にいると、怒りのため滅ぼしてしまいかねない。
だからもう自分たちで勝手にするがいい。」そう言って突き放されるのである。

「神と共に歩む」とはどういうことだろうか。
「いつも守って下さる神さま」「道に迷う私たちを導いて下さる神さま」...
それも確かに神のなせる大切な業である。
しかし神は私たちの願いを都合良く聞いてくれるだけの存在ではない。
私たちの自己中心的な願望に“No!”という形で応えられることもあるのではないか。

しかし疎ましく思えた親の小言が、あとになって大切に思えてくることもある。
時には私たちに厳しい問いかけを与え、深い反省と悔い改めを促す...。
そんな形で「神が共に歩まれる」、そんな時もあるのだ。

神と共に歩む、ということ。それはある意味でとても心強いことだ。
しかし一方では、それはとても畏れ多いことなのではないか。
なぜなら神は隠し通したい私たちの悪い部分も、全部知っておられる方だからだ。

神が共におられることを「心強く感じる思い」と「畏れ多く感じる思い」。
この相反するように見えるどちらの「思い」も大切に受けとめながら、
それでも神と共に歩むことを願い、神が共に歩んで下さることを信じて生きるとき、
そこに私たちひとりひとりの、人間として成長が与えられるのではないだろうか。




『 春を運ぶこどもの声 』(こどもの日CS合同礼拝) マルコによる福音書10:13-16(6月14日)

先週(6月7日)の礼拝は、御影北小の参観日で、こども礼拝の出席者はとても少なかったです。
でも他の小学校・中学校の人たちが来てくれて、礼拝をささげることができました。
人数はいつもより少なかったけど、全然淋しくありませんでした。

でも最近、とっても淋しい日曜日がありました。
それは5月17日。
前の日に新型インフルエンザのニュースが流れて、こども礼拝をお休みにした時です。
教会にひとりのこどもの声も聞こえませんでした。
ものすご~く、淋しかったです。
「教会にはこどもの声が響いて欲しい」― そう思いました。

僕が東神戸教会に来たばかりのころ、教会にハンさんというおじいさんがいました。
その頃、うちの子どもたちはまだ小さくて(小5・小2・幼稚園)、
おとなの礼拝の間2階の牧師館で遊んでいて、時々その声が礼拝堂にも響いてきました。
ハンさんは僕に「最近、礼拝中にこども声がよく聞こえますなぁ…」と言われました。

僕は「礼拝中は静かにしてもらわんと困ります!」
そう言って怒られるのかと思って、ドキッとしました。
するとハンさんはニコッと笑って、
「これがよろしい。教会にはこどもの声があった方がええ。
 教会にはこどもの声が必要や」と言われました。
ホッとしたのと同時に、とってもうれしい気持ちになりました。

聖書に書いてあるお話です。
あるとき、イエスさまのお話を聞きにやってきた人たちの中に、
こどもを連れてきた人たちがいました。
お弟子さんたちは「こらこら、大事なお話の最中だから、
こどもたちを連れて帰りなさい」と言いました。

「こどもはうるさいし、いろいろ面倒もかける。こどもは邪魔だ!」
お弟子さんたちはそんな風に思っていたのでしょう。

するとイエスさまはそんなお弟子さんたちを叱って言われました。
「こどもたちを来させなさい。拒んではならない。
 神の国はこのような者たちの国である」。
どうして、イエスさまはお弟子さんたちを叱られたのでしょう?

それに答える代りにひとつの絵本を読みます。「わがままな大男」という絵本です。
最初大男はこどもをいやがって自分の庭から追い出します。
こどもたちは怖がって、大男の庭から姿を消してしまいました。
すると庭はいつまでたっても冬のまま。

冬の厳しさに耐えられなくなって、春を待ちこがれている大男。
するとある日、庭の隅っこの木に花が咲いているのが見えました。
その木の枝には、こどもたちが座っているのでした。
大男が心を開いてこどもたちを受け入れると、庭には春がやってきました。

「こどもたちの声には、春を運ぶ力がある」、この絵本はそう教えてくれます。
イエスさまもきっとそのことを知っておられたのでしょう。
だからお弟子さんたちを叱り、こどもたちを祝福されたのでしょう。

みんなには「春を運んでくる力」がある。僕はそう信じています。
その声を、これからもこの教会いっぱいに響かせてくださいね。
そして、最後にひとつお願いがあります。
みんなのその力を、自分ひとりの目的のためだけに使うのではなくて、
ぜひいろんな人たちのために役立たせてほしい。
心からそう願っています。




『 「踏み台」となる悲哀と喜び 』  ヨハネによる福音書1:35-42(6月21日)

臓器移植法案をめぐる審議が続いている。
今回の改正が実現すれば、臓器移植に大きく道が開かれることになる。
しかし一方には脳死と判定された家族がおられることでもあり、大変に難しい問題である。
突き詰めて言えば、ひとつの命を救うためにひとつの命の死を待つ、ということである。
これには「正解」というものはなく、それぞれのご家族の判断に委ねるとしか言いようがない。

一連の報道の中で、自身の娘さんの臓器を脳死状態で提供された方の言葉が印象に残った。
「娘のことを思うと今でも悲しくて涙が出る。しかし臓器提供をしたことに後悔はない。
 提供を受けた方から匿名の手紙が届くと、
 その手紙の送り手の中に娘のいのちがキラキラ輝いているように思える」。
自分にとって「マイナス」とも思える事柄を、プラスに受けとめ直す。
そんな思いを示されたような気がした。

私たちの人生には、自分にとってはマイナスの事柄が、
人にはプラスとなっていくことがしばしば起こる。
臓器移植はその最もハードなケースと言えるが、
もう少しソフトなことであれば誰もが体験しているであろう。
そのひとつに、「自分を踏み台として誰かが栄える」ということがある。

たとえば親子で、中高の部活動の先輩後輩の関係で、
友人同士で、会社の同僚や上司・部下の関係の中で、
他の誰かが成長や出世や様々なステップ・アップ、レベル・アップををするために、
自分は踏み台の立場を余儀なくされるということが起こり得る。
そんな立場に立たされたら、私たちはどんな気持ちを抱くことであろうか。

バプテスマのヨハネは、自分の弟子たちが次々にイエスの下に移っていくということを体験した。
一連の聖句からは「あの方こそ真実な方だ。その人の下で真理を学びなさい」と、
ヨハネ自身がそうし向けたとも受けとめられる。
「あの方は栄え、私は衰えねばならない」(ヨハネ3:30)という言葉には、
踏み台となる役割を引き受けようとする覚悟が滲み出ている。

まことに自分の立場をわきまえた、自分の分を超えない謙虚で控え目な振る舞いだと言える。
にもかかわらず、このヨハネの姿には何とも言えない悲哀が感じられる。
自分を踏み台として近しい人が成長し自分から去ってゆく、
その背中を遠くからそっと見送るしかない...。
そんな人の心に深く横たわる悲哀である。

しかし、それはただ単に「自分が踏み台にされて悔しい」というだけの感情ではない。
そこには同時に喜びもある。
その人の成長を、そして未来への可能性を、心から祝福する思い。
それがあるから、人は様々な悲哀を感じながらも
踏み台となる役割を引き受けることができるのだ。

私たちひとりひとりがこうして生きている人生の背後にも、
きっとそのようにして踏み台になってくれた人の存在がいくつもあったことだろう。
そのことに思いを巡らしつつ、私たちも自分の心に悲哀を喜びを感じながら、
時に誰かの踏み台となる役割を引き受ける...。

そんな心を持つ者でありたい。




『 差別・偏見を超えるもの 』  ヨハネによる福音書 1:43-51(6月28日)

6月13-22日にかけて「部落解放四国キャラバン」が行なわれ、
17日の宇和島市での研修会に参加した。
その際に、被差別部落出身の詩人・丸岡忠雄さんの詩に、
池上信也牧師(これさんネット前代表)が曲を付けられた歌(組曲)をうたわせてもらった。

「部落差別」は、ひとことで言えば生まれた場所に基づく差別である。
先ほどの組曲の中に、自分の生まれた場所によって差別を受けた経験を語りつつ、
ふるさとへの複雑な思いを語った歌があった。

  わが子よ、わが子よ、お前には
  胸を張ってふるさとを名乗らせたい
  ひとみを上げ何のためらいもなく
  「これがわたしのふるさとです」と名乗らせたい
          (丸岡忠雄『ふるさと』より)。

歌っていて心に沁みると同時に、差別の現実の悲しさについて考えさせられた曲であった。

聖書の記述の中にも、出身地による差別の現実があった。
ヨハネ福音書の冒頭、イエスと出会い弟子になる決意を抱いたフィリポが、
友人のナタナエルに「わたしは聖書の預言するメシア(救世主)に出会った。
それはナザレ出身のイエスという人だ」そう語ったところ、ナタナエルはこう応えた。
「ナザレから何か良いものがでるだろうか」。

イエスの出身地・ナザレを含むガリラヤ地方は、
当時のイスラエル社会においては大きな被差別地域であった。
「ガリラヤ」とは「辺境」という意味であり、
その住民の多くは「アム・ハ・アーレツ(地の民)」と呼ばれて蔑視されていた。
ナタナエルもその偏見に染まっていたということか。
別の箇所ではナタナエル自身もガリラヤの出身であったと記されている(ヨハネ21:2)。
そうすると自分も含めたガリラヤ住民の絶望感に心を支配されていたのかも知れない。

するとフィリポは言った。「来て、見なさい」。
自分で見て、聞いて、自分で考えよ、ということである。
そうしてナタナエルはイエスと出会い、その真実なる人格に感銘を受け、
「あなたこそ神の子です」と告白するに至った。
ナタナエルは当初、イエスに関する周辺情報で評価を下そうとした。
しかしフィリポにうながされて、実際にイエス・キリストに出会う経験を持った。
そしてその出会いこそが、彼の考えや生き方を大きく変えるものとなっていった。

差別・偏見を乗り越えるのに、人権の論理や正義感といったものももちろん必要であろう。
しかし何よりも大切だと思うことがある。それは「出会い」というものだ。
差別の中に置かれつつも、それでもそれを乗り越え懸命に生きようとしている人々。
そんな人々の笑顔や涙と具体的に出会うことこそ、
差別や偏見を乗り越える大切な一歩につながるのではないだろうか。




『 熱情の神、ねたみの神 』      出エジプト記34:10-14(7月5日)

旧約聖書には神さまがしばしば人々のところに臨み、
姿は見えないが言葉で語りかけられるという場面が登場する。
旧約の神はよく怒り、感情をあらわにされる存在でもある。
新約でイエス・キリストの語られる神が、赦しの神でありつつどこか超越的な存在であるのに対し、
旧約の神は身近であり、感情的な、いわば「人間的な神」とも感じられる存在である。

そんな旧約の神の特質を表している言葉のひとつが「熱情の神」という言葉である。
「熱情の…」というと情熱的なよいイメージが浮かぶが、実際はもっと激しい意味がある。
以前の聖書では「ねたむ神」と訳されていた。
「嫉妬する神」― それが「熱情の神」の真の意味である。

この「熱情の神=ねたみの神」という言葉は、
ほぼ例外なく偶像崇拝禁止の戒めが提示されるところで語られている。
今日の箇所で言えば、エジプトを脱出し、カナンへの移住に向かう中で、
その地に広まっている偶像崇拝に染まらぬように…という文脈の中でこの言葉が語られている。
「異教の神々を拝んではいけない。偶像崇拝に付随するみだらな行為に身を委ねてはならない。
 もしあなたがその神々を拝むならば、神さまはやきもちを焼かれる」ということであろう。

「いったい、神さまが嫉妬する…そんなことがあってよいのか。
 神さまの愛とは、条件付けをしない『アガペー』の愛だったのではないか。」
 ―― 新約のイエスの福音に慣れ親しんだ私たちは、ついそう感じてしまう。

しかし、嫉妬を抱くということは、裏返せばそれほど強い愛を向けられているということでもあろう。
何の関心も抱かない相手には、嫉妬の感情を持つこともない。
自分の大切な人が、自分の知らないところで、自分以外の人と「いい時」を過ごしている...。
そんな状況に自分の存在が置かれていない、関われない悔しさが、嫉妬を生み出す。
「神は私たちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」(ヤコブ4:5)。

ではなぜ神さまは、イスラエルをそれほどまでに深く愛されたのだろうか。
それは彼らが立派だったからでも、敬虔だったからでも、強かったからでもない。
「主があなたがたを選ばれたのは、どの民よりも貧弱だったからだ」(申命記7:7)。

「いと小さきものを愛される神」。
それが旧約の語る「熱情の神(ねたみの神)」のもうひとつの顔である。

このことを現在のパレスチナ問題に重ね合わせるとき、複雑な思いになってしまう。
かつてイスラエルをその弱さゆえに愛された神は、今同じ理由でイスラエルを見限り、
別の民を愛されるようになるのかも知れない...そんな風に思えてならないのだ。

神はこの世の「いと小さき者をねたむほどに深く愛しておられる」。
そのことに心開くとき、私たちにも大事な道が見えてくるのではないだろうか。




『 3日目の奇跡 』  ヨハネによる福音書2:1-12(7月12日)

ヨハネ福音書でイエスが最初のしるし(奇跡)を行なわれた、「カナの婚礼」の場面である。
婚礼の祝宴の最中に、ぶどう酒がなくなってしまった。
母・マリヤがそのことをイエスに告げると、
イエスは「水がめに水をいっぱいに入れなさい」と言われた。
命じられた通りにすると、かめの水がぶどう酒に、
しかも上質のぶどう酒に変わっていた、というお話し。

水が酒に変わる奇跡物語は、ギリシャ神話のデュオニソス(バッカス)や、
日本の養老の瀧伝説など、世界にいくつも見られる。
果汁や穀物液が発酵して酒に変わる現象は、昔の人には不思議な出来事であり、
どこか「神的」なイメージと結びつくのかも知れない。

それにしても、水が酒に変わるなどということが、実際に起こり得るのだろうか?

反対の、「酒が水に変わる話」としては、会津で牧師をしている友人の逸話を聞いたことがある。
彼が高校生の時に、家にあった調理用の洋酒を盗み飲みしては水を足していたら、
いつの間にかボトルの中味が水に変わり、後日母親にバレて大目玉をくらった...という話だ。
「事柄そのものは欲にかられた高校生のバカ話です。奇跡でも何でもありません。
 奇跡と言えば、そんなバカな高校生が、その後牧師になったことが
 奇跡と言えるかも知れません」(本人談)

果汁や穀物液が酒に変わる「発酵のシステム」を、現代の私たちは科学的に知らされている。
そんな私たちにとって、水が酒に変わるという話は、にわかには信じられないものだ。
しかしこの物語は、「イエスさまはこのような奇跡を行なう力を持っていた!スゴイ、スゴイ!」
そんなことを伝えるだけのお話しではない。

物語の冒頭に「3日目に」と記されていることに注目したい。
3日目に起こった奇跡。
この言葉を聞いて、何か想い起こすことがありはしないか。
そう、それはイエスの「十字架と復活」を暗示している言葉だと考えられる。
3日目の奇跡である「十字架と復活」。
それがどんな出来事であったのかは、解釈によって受けとめ方も分れる。
しかし「それがあった」と信じるところから、キリスト教が始まったのは確かなことだ。

「奇跡など迷信だ。まともに取り上げるに値しない」と決めつける人もあるかも知れない。
しかし、神さまは時に、我々の思いをはるかに超えたことを実現してくださる...
そんな奇跡を信じることは、現代でも大きな信仰のテーマではないだろうか。

この物語において、イエスに命じられ、
水がめに水をいっぱいに満たした人がいたことに注目したい。
彼らにしても何か確信があってそうした、というのではないだろう。
しかし「こんなこと意味ないさ...」と決めつけずに、
「おっしゃる通りやってみましょう」と行動した。
そんな風に思いを行動に移す人々がいて、はじめて奇跡は起こるのである。

この「水」とは何か?それは私たちひとりひとりのことではないだろうか。
それぞれの存在は「ただの水」に過ぎない私たち。
しかしそんな自分をあきらめず、神の導きを信じて生きるとき、
上質のぶどう酒に変えられる。




『 神の家族 』(第3礼拝)  ヨハネによる福音書15:1-5(7月19日)

人間は古来から「家族」という共同体を営みながら歴史を紡いできた。
その家族のカタチも時代の変遷と共に変化をしている。
「核家族」が当たり前のようになっている現代人にとっては、
かつての濃密な「大家族」はわずらわしいもの、自由を阻むものと受けとめられているかも知れない。

しかし、それも行き過ぎると人間の内なるバランスが崩れてしまう。
資本主義・市場原理というものは、突き詰めていくと「家族の解体」に向かうと言われる。
4人家族が同じTVを見るよりは、
4人が一台ずつTVを持って別々の番組を見る方が売り上げが上がる。
家族の欲望は、一体化するより分散している方がビジネスチャンスが増えるという具合である。
自由で気ままな暮らしを求めているうちに、気が付けば家族の解体が進行し、
人間が砂粒のようにバラバラにされてしまうかも知れない。

これは人間にとって大きな危機である。
なぜならば、私たち人間は、たったひとりでは生きていけない存在、
誰かの助け・支えなくしては生きられない存在だからである。
健康で順調なときはひとりでも生きていけるかも知れない。
しかし病気や何らかの困難に遭遇するとき、支えとなる存在が必要となる。

「教会は神の家族である」と言われる。
血縁でもなく、社会的なしがらみでもなく、
ただイエス・キリストを信じるという信仰によって結びあわされた共同体。
イエス・キリストがぶどうの木であるならば、そこにつながるひとりひとりはぶどうの実、
それが教会の理想の姿だと言えよう。

「実を結ばない枝はみな取り除かれる」という言葉も記されている。
しかしこれを排除の言葉として受けとめてはならない。
むしろ「教会の交わりが内向きに閉ざされてしまい、
実を結ばない枝が生まれないように気をつけなさい」という戒めの言葉だと受けとめたい。

「神さまのこども」という歌がある。
この歌に出てくる人々は、いずれも様々な悩み・痛みを抱えている人たちである。
しかし「このような人も神の家族なんだ」、いや「この人こそ神のこどもなんだ」、
そんなメッセージを受けとめてほしいと思う。
「こんなわたしだけれど、でも私も神さまのこども。」...
そんな信仰があるから、この人たちは辛い状況があってもなお生きようとしている...。
そんな姿を感じながら、わたしたちも内向きの居心地のよい交わりに安住せず、
新たな出会いへと心を開きつつ、本当の「神の家族」を目指して歩みたい。


  ♪ 神さまのこども ♪ (Tom Walker 作)

   わたしたちは かみさまのこども
   どんなときも この思いは たしか
   めぐみのなか ちからうけて 
   生きてる かみさまの こども

  1.名前はマリー 昨晩も 彼に殴られました。
   「愚図だ!」とののしられて 殴られ床に倒れる
    彼は赦しを請い 「もうしない」と誓うけど
    またすぐに殴るの ボロ切れのようになるまで

    ※だけどわたしは かみさまのこども
     どんなときも この思いは たしか
     めぐみのなか ちからうけて 
     生きてる かみさまの こども

  2.名前はマヌエル この手を見て 働いて働いて
    コーヒーもバナナも わたしたちが作るの
   「今ガマンをすれば 天国で報われて
    魂も救われる」 地主はそう言うけど

    ※ くりかえし

  3.名前はジェローム 決めたんだ 「もう嘘はつかない」と
    でもパパは出て行き ママは泣き崩れた
    僕がゲイだなんて 「とても信じられない」と。
   「それが本当なら、いっそ死んで」と言われた

    ※ くりかえし

    名前はエレイン まだ7歳 だけど もう疲れたわ 
    いじめ、差別、暴力 飢えに 搾取、戦争 
    この世界の中で 喜び生きていたい
    踊りたい 遊びたい 仲良くお菓子も食べたい

     だってわたしは かみさまのこども
     どんなときも この思いは たしか
     めぐみのなか ちからうけて 
     生きてる かみさまの こども




『 食い尽くすほどの熱意 』  ヨハネによる福音書2:13-22(7月26日)

イエスによる神殿粛正、いわゆる「宮清め」の出来事を伝える箇所である。
他の福音書ではこの出来事は受難週の初日、
イエスの十字架への道の始まりの出来事として記されている。
この出来事が直接の引き金になってイエスは十字架へと追いやられていった...
それが共観福音書での位置づけである。

しかしヨハネ福音書ではそれはイエスの公の活動の冒頭に置かれ、
しかもこの後少なくとも2年間は活動を続けたという流れとなっている。
(この後、イエスは2回、過越の祭りに臨んでいることから。)
律法学者やファリサイ派の人々との対立がだんだん深まっていく...というのではなく、
活動の初っぱなから、いきなりの「対決姿勢」である。

すべて想定通り、すべて計算ずく...。
ヨハネ福音書のイエスは「分かってる人」なのである。
「上から目線」で、見方によっては高飛車にも見える、ヨハネ福音書におけるイエス...。
そんな姿が、私はどうもニガ手である。

「この神殿を壊してみよ。3日目には立て直してみせる」
このイエスの言葉は、十字架の苦難と復活を意味すると解釈されてきた。
直前の「カナの婚礼」(3日目の奇跡)と併せ、ヨハネ福音書はその冒頭の部分において、
既にイエスの生涯の行く末(十字架と復活)を先取りしている形を取っている。

しかし私は、そのような「分かってる人」としてのイエスではなく、
「激しく怒るイエス」の姿に惹きつけられる。
「あなたの家を思う熱意が食い尽くす」という詩編69の言葉が引用されているが、
それほどの強い思いを込めて怒るイエスを思い浮かべのである。

イエスの怒りはどこに向けられているのか。
フィリピンの教会にある「怒るイエス」という絵を思い出す。
そこには貧しいサトウキビ畑の農民を搾取する地主や権力者に向けて、
激しい怒りを向けられるイエスの表情が描かれている。
イエスの怒りはいつも「小さき者が軽んじられる現実」に向かっているのではないだろうか。

「牛や羊や鳩を売る者たち」「両替をしている人たち」彼らが直接悪いのではなく、
それら商売人から手数料の形で利益を吸い上げ、私腹を肥やす宗教指導者たち。
そのようにして神殿の祭儀のあり方そのものが、貧しい民衆を搾取する構造...。
それに対してイエスは激しく怒っているのである。

しかし、イエスのその怒りは、何かを破壊するだけの怒りではないだろう。
むしろイエスの「食い尽くすほどの熱意」とは、
本当の神殿を建てるための熱意なのではないだろうか。
「わたしの家は祈りの家でなければならない!」

ひるがえって、私たちはどうだろうか。
家を壊すにしても、建てるにしても、熱意を失ってしまってはいないだろうか。
時には何かに対して激しく怒る。
時には情熱を込めて何かを作り上げようとする。
そんな熱意を持つことも、大切なことではなりだろうか。




『 同じ「人間」として出会うとき 』   ヨハネによる福音書4:7‐10(8月2日・平和主日)

大変残念なことに、人類の歴史は戦争の歴史であると言える。
石器時代から農耕時代に移り、「土地の所有」の概念が生まれ、財産を持つようになり、
種族や国という単位で暮らすようになるに従って、戦争のボルテージも上昇した。
中でも「土地の所有」を巡る争いが苛烈を極めるのは、昔も今も変わらない。
人間は「土地に対する執着」が異様に強い生き物なのかも知れない。

「現代の宗教戦争」のように言われるパレスチナ紛争もまた、土地の所有をめぐる争いである。
旧約聖書の記述を盾にカナン(パレスチナ)の所有権を主張するユダヤ人(イスラエル=ユダヤ教徒)と、
ユダヤ人追放(AD.70年)以降、そこに住むようになったアラブ人(パレスチナ=イスラム教徒)が、
土地の所有をめぐって争っているのである。

ユダヤ人がホロコーストの悲劇を体験する中から、
「自分たちの祖国を作りたい」という強い願いを抱いたことは理解できる。
しかし、武力を投じて、既にそこに住んでいた人たちを追い出して、
無理やり土地を奪うような形での移住には、今も多くの批判がある。
圧倒的な軍事力を誇るイスラエルに対し、
パレスチナ人がテロによる攻撃を繰り返すというドロ沼の争いが、今も続いている。

この紛争を取り上げた『プロミス』という映画がある。
敵対するそれぞれの国の、10代前半の少年たちを追ったドキュメンタリーである。
イスラエル人とパレスチナ人の少年たち、その主張は、水と油のように食い違う。
それぞれの国の教育によって、敵愾心が作られているのである。
そんなある日、映画監督が双方の少年にある提案をする。
「実際に会ってみないか?」。
こうして、イスラエル人とパレスチナ人の少年が出会うことになる。
実際に同じ人間として出会い、一緒にサッカーをし、ゲームをして遊び、食事をする。
そんな生身の姿の出会いが、少年たちの心をほんの少しだが動かすことになる…。
同じ人間として出会うことの大切さを考えさせられた映画であった。

イエスとサマリアの女も、当初は「ユダヤ人vsサマリア人」という対立の構造の中に置かれていた。
「水を飲ませて下さい」というイエスに対し、
女は「なぜユダヤ人のあなたが、サマリア人の私に?」と拒絶感を含みながら向き合った。
しかしイエスはその構造にはまることなく、同じ人間としての出会いを求めていかれた。
そのことによって心の壁が低くされ、深い出会いが与えられた。

私たちにも対立する人がいることだろう。
しかしその人たちも同じ心を持った人間なのである。
かつて「鬼畜米英」と言われたアメリカ人・イギリス人も、
また現在の敵国と言われることの多い北朝鮮の人々も、
うれしいことがあれば笑い、悲しい・悔しいことがあれば涙を流す。
おいしい物を食べれば満足そうに微笑む、そんな心を持った人間なのである。
この当たり前のことに気付き、敵対する相手の中に、自分を同じ人間性を見ようとする...。
そう考えて向き合うことから、平和への一歩が生まれるのではないか。




『 それぞれの安息日 』    出エジプト記34:29-35:3(9月6日)

ここ数年、CSキャンプの最終日は日曜日となっており、
教会では牧師不在で、信徒の方の奨励による礼拝が行なわれている。
毎年キャンプ場で、礼拝の時間になると「あぁ、もうすぐ礼拝が始まるな…」
そんなことを覚えながら過ごしていた。
ところが今年、土砂降りの雨で苦労したせいか、そのことを思い浮かべるのを忘れてしまい、
気付いたら11時40分、礼拝が終わった時間であった。
「シマッタ!」

七日に一度仕事を休み、休息を取ると共に、神さまを覚えて礼拝をする...。
これはユダヤ教が始めた習慣である。
天地創造の物語において、神さまが六日働いて世界を創り七日目に休まれたことに由来する。
ユダヤ教では土曜日、キリスト教ではキリストが復活した日曜日が安息日・礼拝の日となった。

明治以前の日本では日曜日は休日ではなかった。
開国にともなって、西欧諸国(キリスト教国)と歩調を合わせるため、日曜休日を導入した。
ただしそれは「半分だけ」の導入であった。
「安息」は取り入れたが「礼拝」は取り入れなかったからだ。

今や日本では、日曜日(+土曜日)はレジャーの日となり、
「安息」どころかかえって心身が疲れ果てる日となってしまっている感がある。
レジャーを否定するつもりはないが、週に一度仕事を離れ、身体を休めると共に、
「大いなる存在」の下で自分自身をふり返ることの意義を、もう一度考え直したいものである。

それにしても、旧約聖書における「安息日厳守」の考え方の中には、
私たちの理解を超えた厳しいものもある。
今日の箇所にも「安息日に仕事をする者は死刑に処せられる」と記されていた。
このような戒めには抵抗感や拒否感を感じる人も多いはずだ。

幸い、新約聖書にはそのような厳格な「恐ろしい安息日」のイメージを取り払うような
イエスの振る舞いや言葉が記されている。
イエスは安息日の戒めが人々を萎縮させるようなあり方を批判された。
「安息日は人のためにある。人が安息日のためにあるのではない」(マルコ2:27)。

私たちは旧約時代ほど厳格に、安息日厳守を誓わなくてもいいのかも知れない。
ただ一方で、旧約時代のイスラエルびとが、それほどまでに安息日を大切にしようとした、
その思いは受けとめたい。

モーセがシナイ山で神と出会い人々の前に降りてきた時、その顔は光り輝いていたという。
エジプトの奴隷の生活から脱出し、これからいよいよ「約束の地」に向かおうとする瞬間である。
モーセはイスラエルの人々を集め、彼らに語りかける。
それは一国の大統領や首相の「所信表明演説」にあたるような場面と言えるかも知れない。

栄光に満ちた指導者が、今後の歩みへの意欲を示す...、その時にモーセが言った言葉。
それは「力を合わせて頑張ろう!」とか、「希望を抱いて共に歩もう!」といったものではなく、
「安息日を大切に守りなさい」という言葉だった。
これから新しい国を作る上で、人間の力に依り頼むのではなく、神さまに依り頼むということ、
そして自分たちの共同体の求心力を、礼拝に求めようとしたということだ。

現代の私たちは、様々な事情で日曜礼拝に出られないことがある。
それはそれで仕方ないことだろう。
しかし、その日その時どこにいたとしても、礼拝をささげている仲間のことを想い起こし、
同じ時間に小さな祈りをささげることは可能ではないか。
そのような「求心力」を心に抱きながら、共に歩む教会でありたいと思う。




『 新しく生まれ、風のように生きる 』  ヨハネによる福音書3:1-8(9月13日)

今年の夏、高校野球を見に甲子園に行った時、心の中にフーッとよみがえる感覚があった。
それは40年前、小学3年生の夏に初めて甲子園に来たときの高揚感であった。
野球少年にとってあこがれの聖地を初めて訪れた時のワクワク感。
久しく忘れていたその感覚が蘇ってくるのを感じた。

人間は年を重ねるに従って、様々なことへの感激の度合いも少なくなっていく。
それはおそらく「心が慣れて」いくからであろう。
「あ、これは前に見たことがある」「似たようなことは以前体験した」。
経験の積み重ねの中では、どんなに美しい景色もいつしか見慣れた日常の風景となっていく。

しかし、ある時にふとしたことで、初めてその経験をした感激が蘇ることがある。
自分がかつて抱いたときめきを、再び取り戻すような体験。
それはある意味で「新しく生まれる」体験と言えるものなのではないかと思う。

ニコデモはファリサイ派に属するユダヤ人の議員であった。
多くの知識と経験を兼ね備えた、重鎮の姿が想像される。彼はイエスに言った。
「わたしはあなたがた神のもとから来られた方であることを知っています」。
私は知っている、あなたのことを理解している、とニコデモは言う。

ところがイエスは「人は新たに生まれなければ神の国を見ることはできない。
水と霊によって生まれなければ、神の国に入れない」と言われた。
これを「洗礼を受けてクリスチャンにならなければ、救いにあずかれない」
そのように受けとめる読み方もある。
しかしそれは狭いとらえ方のような気がしてならない。

新しく生まれるとはどういうことか?イエスは何も説明はしていない。
しかし新しく生まれた人の生きざまについては、印象的な言葉を語る。
「風は思いのままに吹く。その音を聞いてもどこから来て、どこへ行くかを知らない。
霊から生まれた者もみなその通りである」。

「私は知ってる、分かってる」と語るニコデモの姿は、
どこから来てどこへ行くか、全部見通せる一本の道のようなものである。
そんな「定まった」生き方にしがみつかないで、もっと心を躍らせて自由に生きようじゃないか...
― イエスはそのように呼びかけておられるのではないか。

この夏、甲子園まで見に行った高校野球の決勝戦は、異色の対戦であった。
常連の優勝候補・中京大中京高校vs新潟県勢初の決勝進出・日本文理高校。
判官贔屓の観衆の多くは、新潟のチームにエールを送っていた。
ふと隣を見ると、初老の男性が熱心にスコアを付けながら観戦していた。
目の肥えた、いわゆる「玄人」の高校野球ファン、といった風情で、
周りの人々が一球一打に一喜一憂する中で、冷静に淡々とゲームを見ておられた。

試合は中京高校リードの一方的な展開で最終回を迎え、2死ランナーなし。
正直「もうこれまで...」と思ったが、次々に声援が飛ぶ。
「がんばれ!新潟!」「あきらめるな!」
そこから、奇跡のような怒濤の反撃が始まった。
応援に呼応するように、次々と点を返し、攻撃を続ける日本文理の選手たち。
球場全体に「これはひょっとしたら...」という期待が大きくふくらんでゆく。
ついに1点差まで追いつき、なおも次の打者が快音を発した一撃は.........

残念ながら三塁手の真っ正面の打球。サードライナーでゲームセット。
一瞬、歓声とため息が入り交じったが、次の瞬間、甲子園は大きな拍手に包まれた。
「よくやった!日本文理!そして中京、おめでとう!」
球場全体が両校の健闘を心から祝福しているかのようであった。

ふと隣のおじいさんを見ると、首にかけたタオルで目頭を押さえておられた。
そして目があった僕に、ひとこと。
「いやぁ~、感動した~!」
その時、「このおじいさんも、新たに生まれはったんやなぁ...」と思った。

人はその気になりさえすれば、いくつになっても新しく生まれることができる。
イエスはそう教えてくれた。
その言葉を信じて、風のように自由に生きていきたい。




『 いのちの水 』  ヨハネによる福音書4:13-14(9月27日)

日本は水の豊かな国である。
「湯水のように無駄づかいをする」という言葉があるように、「水はタダ」という感覚がある。
しかし所変われば価値観も変わる。
聖書の舞台であるパレスチナは渇いた大地であり、水はとても大切な資源である。

「荒涼とした大地の中に、緑に茂るぶどうの木を見ると、
文句なしに神の恵みに生かされていることを感じる」。
これはパレスチナをよく旅した先輩牧師から聞いた言葉である。
「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない」。
今日の箇所のイエスの言葉も、そのようなパレスチナの価値観において読むことがふさわしい。

今日の讃美歌(旧238「疲れたる者よ」)の原題は"I heard the voice of Jesus"、
その2番の歌詞に、今日の聖書の言葉が出てくる。
同じ讃美歌の1番には、「疲れたる者よ、我に来たり、重荷を下ろしてとく休め」とある。
有名なマタイ11:28の言葉であるが、ここでイエスは不思議なことを言われる。
「休ませてあげよう」と言いつつ「私の軛(くびき)を負いなさい」と言われるのである。

「軛」とは、畑を耕すため牛馬に引かせるための横棒のことである。
パレスチナの農法では、軛は一頭立てではなく二頭で引いたらしい。
先ほどのイエスの言葉は「あなたの重荷はあなた一人で負わなくてもいい。
私も一緒に負ってあげるよ」という語りかけなのであろう。

勘違いをしてはいけない。
「あなたの重荷を全部代わりに負ってあげる」というのではない。
重荷を取り去ることはできない。それは引き続き負っていかねばならない。

しかしそれをひとりで負わねばならないのではなく、イエスが共に負って下さる。
十字架の苦しみという、誰よりも大きな苦しみを味わわれたイエスが、
あなたの苦しみを一緒に苦しんで下さる、ということである。
この言葉を信じる時、渇いた大地に水がしみ渡るように、
心に癒しと救いが与えられていくのである。
イエスはまさに、私たちにとって神から与えられた「いのちの水」なのである。

しかしその水は、限定された人だけに与えられたものではない。
それはみんなで分かち合うものである。
だから教会は渇いた心に水を届ける働き(伝道)を大切にしてきた。
私たちもその水を分かち合って生きていきたい。




『 この世を愛される神 』    ヨハネによる福音書3:16-21(9月27日)

一時期、オリンピックやメジャーリーグの試合会場のような人の集まる場所で、
“JOHN 3:16”というプラカードを掲げた人を目にすることがあった。
アメリカのある熱心なクリスチャンが独自の伝道活動として始め、
それが人伝えに、少しずつ広まっていったものらしい。
“JOHN 3:16”とはヨハネ福音書3章16節のことであり、
「ここには聖書の最も大切なメッセージが記されている」
「だからあなたもその箇所を読んで下さい」というメッセージなのだそうだ。

「神はその独り子をお与えになったほど、この世を愛された。
 それは独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。

確かにここには、キリスト教の中心的なメッセージが凝縮されて語られている。
イエスは神のひとり子であり、
人々を救うために神から遣わされた救い主(キリスト)であるということ。
そのイエスを救い主と信じ受け入れることによって、
人は永遠のいのち(救い)を得るということである。

キリスト教の伝道の歴史は、このメッセージを世界の人々に伝え続けた歴史だったと言える。
その積み重ねの中で救われた沢山の人がいる。
まっすぐに「自分に」向かってくる神の愛を感じ、
イエス・キリストの福音を信じて「わたしは」救われた...
この聖書の言葉がそのような力を持っているのは事実であろう。

しかし私は、そこで何か大切なことが置き忘れられてしまうのではないか、
そんなことを考えてしまうのである。
「わたしを」愛して下さる神を信じることは尊い体験だと思う。
しかし聖書には何と書いてあったか?

「神は、独り子をお与えになったほど『この世を』愛された」。

「あなたひとりを」「クリスチャンだけを」愛されたのではなく、
「この世を」愛された、それが聖書の語る神の愛である。

それは言いかえれば、イエスの福音によって救いを得た「わたし」が、
自分ひとり心の満足を得て、そこで完結してしまってはならない、ということだ。
神が「この世を」愛されたように、
私たちの思いも「この世に」向かっていくのが大切なのではないか。

キリストの福音を世界に広めるために働いた宣教師たちの活動も、
また平和や人権、病気や貧困、環境問題のために働く多くのキリスト者の活動も、
「この世を」愛された、その神の愛に応える働きなのだ。

神が愛された「この世」の出来事に、私たちも関わろう。




『 この地球(ほし)の裏側で 』  エフェソの信徒への手紙2:13-22(10月4日)

9月16日は熱い夜であった。
神戸聖愛教会を開場に『南米の讃美歌のつどい』が開かれ、
アルゼンチンの牧師であり賛美歌作家でもあるパブロ・ソーサ氏が来神、
講演と歌唱指導を行なって下さったのだ。
76歳の年齢を感じさせないエネルギッシュなリードで、
フォルクローレ、タンゴ、ミロンガ、サンバといった南米音楽をベースにした
ユニークな賛美歌を共に熱く歌った。

ソーサ氏がこのような賛美歌創作の活動を始められたのは、今から半世紀も前のことだという。
スリランカの神学者、D.T.ナイルズ氏がアルゼンチンに来られ、講演を聞く機会があった。
その時ナイルズ氏は、スリランカやインドの旋律を用いた賛美歌を紹介してくれた。
みんながその美しいメロディにうっとり聴き入っていると、ナイルズさんは突然言われた。
「さぁ、次は君たちの番だ。君たちの国の賛美歌を歌ってくれたまえ」。
若きソーサ氏はとっさに答えた。
「私たちの音楽は教会の礼拝にはふさわしくありません」。

それでも何か歌えと言われるのでソーサ氏は仲間と一緒に、
賛美歌ではないアルゼンチンの民謡を一曲披露した。
それを聴いたナイルズ氏は言われた。

「すばらしい歌だ。あなたがたはとてもすばらしい歌を持っている。
 なのにどうしてこれを礼拝の中で用いないのか。それはおかしなことではないか。」

この出会いがひとつの大きなきっかけとなって、
ソーサ氏は南米の旋律に基づく新たな賛美歌作りを始められたという。
ナイルズ氏の語った印象的な言葉を紹介して下さった。

「イエス・キリストの福音は、鉢に植えられて宣教師たちによって持ち込まれた。
 我々はその苗を鉢から取り出して、自分たちの大地に根付かせなければならない。」

南米の賛美歌のもうひとつの特色は、歌詞に込められたメッセージだ。
長く続いた軍事独裁政権の時代、民衆の側に立って歩んだ教会の歴史があり、
その中から生まれた歌にもそれが反映している。
戦争と平和、貧困、差別、環境破壊などの問題に対して、
信仰的に関わっていこうという内容が含まれた、力強い歌が多い。
歌いながら心が熱くなってくる。新たな力が与えられる。

アルゼンチンと日本。地球のちょうど裏側に位置するそれぞれの国。
しかしイエス・キリストを信じる信仰、そして歌が私たちを結び合わせてくれた...
パブロ・ソーサとの出会いの中で、そんなことを強く感じた夜であった。
「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、
 キリストの血によって近い者となったのです。」(エフェソ2:13)

この地球(ほし)のいたるところに人間の営みがあり、そこには歌が生まれる。
そしてまた、そこに人間の苦しみ痛みの現実があるならば、
そこにはきっとイエス・キリストの福音が響き渡ることであろう。
その地で生まれた音楽と、人に魂に救いをもたらすイエスの福音が出会うとき、
そこに新しい歌が生まれる。

世界聖餐日の今日、キリストの福音を携えて、
この地球(ほし)の裏側で精力的に活動する人の働きに、感謝と敬意をささげたい。

                   (世界聖餐日礼拝)



『心動かされて』  出エジプト記36:1-7 (10月18日)

滋賀県の湖東地区は、数々の企業の創設者を生み出した「近江商人」の里である。
「ケチ」で名高い大阪商人、いわゆる「ナニワのあきんど」のイメージがあるが、
そのルーツは、実はこの近江商人にあるという。
ところが近江の人に言わせると、「ケチはケチでもシブチンとちゃいます。
近江のケチは『しまつ』どす。」ということになるらしい。

「しまつ」とは倹約のことであり、モノの価値をとことん使い尽くすことである。
しかしそうして節約して手に入れた富を、ただ退蔵するのではなくて、
必要なところには惜しみなく十分に投資する、それが近江商人の真骨頂なのだそうだ。
そんな近江商人に伝えられた「三方よし」という言葉がある。
「売り手よし」「買い手よし」そして「世間よし」。
守銭奴のように己れの富を何が何でも死守しようとするのでなく、
大切な社会の働きのためならば気持ちよく用いていこう...そんな心意気を表す言葉だ。

今日の箇所は、エジプトを脱出したイスラエルの民に、モーセが幕屋の建設を命じる箇所である。
直前の箇所でモーセは、奴隷から解放されたイスラエルの人々が最も大切にすべきこととして、
「安息日を大事に守りなさい」ということを命じている。
新しい共同体を立ち上げる営みを、人間の力により頼むのではなく、
神をより頼んで、礼拝を中心にして進めていこう、ということである。

「幕屋」とはその礼拝をささげる場所、いわゆる至聖所のことである。
それは後には神殿や教会や寺院といった建物となってゆくのであるが、
旅の途上であった彼らの状況の中では、移動式のテント仕立てのものであった。

その幕屋を作るための必要な材料や部品、働き人を集めることを命じるのであるが、
一見するとそれは、集めるのになかなか大変そうな内容である。
移動式の幕屋とはいえ、それは決して簡便な(インスタントな)ものではなく、
実際に作り上げるには相当な費用と手間が必要なものに見受けられる。
旅の途上にある人々にとって、それは相当な負担と思われる事業である。

ところがモーセがそのように命じて、実際に献納物を集めてみると、
幕屋建設に必要な分以上のものが集まった、と記されている。
「必要なものは十分満たされた。もうこれ以上持ってこなくてもよい」。
そのように民に呼びかけるモーセの顔は、きっと喜びに満たされていたことだろう。

なぜ人々は必要以上のものを携え来たのだろうか?
鍵となる言葉が、何度も語られている。
「すべて進んで心から献げようとする者は...」「心動かされ、進んでする者は皆...」
命じられて、義務としてするというのではなく、「心動かされて進んでする」。
すなわち「心動かされる体験」がそこにあったということだ。

ではなぜ彼らは「心動かされた」のか?
エジプトでの苦しみから解放された、そのことへの感謝の気持ちがあったことは確かであろう。
礼拝、それは「私たちは神によって救われた」ことを繰り返し感謝し、想い起こす営みである。
その礼拝をささげる場所、幕屋の建設だからこそ「心動かされた」...そう考えられる。

しかし私は、そこにはもうひとつの思いもあったのではないかと想像する。
それは「未来への期待」である。
これから新しく始まろうとしてることに対し、期待で胸をふくらませワクワクする気持ち。
そのような思いを強く抱くことができるとき、
私たちの心は何よりも大きく躍動するのではないだろうか。

その期待というものが、自分自身が満足することにだけ向かうではなく、
自分の子どもたち、これからの世界を担ってゆく仲間たちにも向けられてゆくとき、
私たちは「心動かされて」惜しみなく自分の持ち物をほどこしてゆくことできるのではないか。

「世間よし」を心意気に、時に思い切った投資を行なった近江商人の心情の中にも、
「この世間のためにお役に立ちたい」という、未来への心動かされる思いがあったのだと思う。
「心動かされる」、その体験を大切なものとして共有できるとき、
達成困難に思える目標も、実現に向けて導かれていくことを信じたい。




『 「アーメン」という生き方 』     ヨハネによる福音書3:3-15(10月25日)

昨年8月に亡くなった漫画家・赤塚不二夫氏の葬儀でタモリが読んだ弔辞は、心に残る名文であった。

「あなたの考えは全ての出来事存在をあるがままに前向きに肯定し受け入れることです。
それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、明るい時を感じます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち『これでいいのだ』と。」

人生のどんな局面でも「これでいいのだ」と語れるかどうか...
それはとても哲学的な問いであると思う。

「アーメン、アーメン、私は言う」。
これはイエスの口ぐせであったようだ。
(日本語訳では「はっきり言っておく」「よく聞きなさい」等々と訳されている)
人々が祈りの最後に唱えていた「アーメン」という言葉を、イエスはひっくり返して用いられた。
それが当時の人々にはとても印象的だったのだろう。
イエスがこの言葉を使うときは例外なく、事柄の真理に触れる発言をされる時であった。

「アーメン」とは、「その通り」「私も同じ思いです」という意味を表す言葉である。
祈りがささげられた時、「自分も同じ思いです」という思いを込めて「アーメン」と言いましょう...
そのように教えられてきた。

では、同じ思いではない場合「アーメン」と言わなくてもいいのか。
神学生時代、「共感できない祈りには『アーメン』と言わなくてもいい」と言う先輩がいて、
複雑な思いになったのを憶えている。
逆に人のお祈りに対して「アーメン」「アーメン」と盛んに「合いの手」を入れる人もいる。
内心「もう少し静かにしていて欲しい…」と思ったりもする時もある。

しかし基本的には、たとえ100%の共感が得られなかったとしても、
その人がその祈りをささげたという行為に対して「アーメン」と言うことは大切だと思う。
祈りの是非を決めるのは「わたし」ではなく、神さまだと思うからだ。
そしてこのことは、私たちが自分や他者の人生をどう受け入れるか、
そんなことにもつながっていくと思う。

「こんなはずじゃなかった」ということが私たちの人生にも起こり得る。
しかし「だからこの人生には意味がなかった、ムダだった…」と思うのではなく、
「それでもこの人生には意味があった。これでいいのだ。アーメン...」、
そうつぶやくことができるならば、そこに祝福があるのだと思う。




『 葬りの場所 』      創世記23:7-20(11月1日)

今日は召天者記念礼拝の日であるが、
私は今年のこの礼拝に、例年とは少し違う気持ちで臨んでいる。

ひとつの理由は、例年は1年の間に天に送った教会員の方がおられるが、
今年は1年間、どなたも召されたことはなかったということ。
もうひとつは、現在教会で納骨スペースを設ける計画を進めており、
そんな中でこの日の礼拝の時を迎えている、ということだ。

人類は、太古の昔から家族や仲間が亡くなると葬儀を行ない、
さらに多くの場合は亡骸を埋葬し、墓を作って故人を記念する場所を設けてきた。
中にはピラミッドのような、故人の偉業を見せしめるための野心的な墓もあったが、
もともと人間が墓を設ける心情とは、もっと素朴なものであっただろう。
それは、亡くなった人のことを「それでもなお大切に思いたい」という気持ちだと思う。

人間以外の生物にとっては、仲間や家族であっても、
死ねば自然界の一部、すなわち「モノ」として扱われる。
しかし人間だけはそのような扱いをせず、
死後もその人の人格をどこかに感じ、敬意を持って対処してきた。

ときおり殺人事件などで、死体を切り刻んでゴミに出していたという報道を聞くと、
我々は眉をひそめてその行為を非難する。
しかし同じことを鳥や魚や豚にはしているのである。
なぜ鳥や魚にはしてよくて、人間に対してだけはそれをしてはいけないのか。
それは「我々が人間だからだ」としか理由がつけられない。
人間とは、同種目の仲間の死体を「モノ」として扱うことを拒んできた生き物なのだ。

アブラハムは妻サラが死んだとき、胸を打ち嘆き悲しんだ、と記されている。
そして周辺の土地を所有していたヘト人に頼み、墓地を譲って欲しいと頼む。
この依頼に対して、ヘト人は「どうぞあなたの好きなところに葬ってあげなさい」と応える。
ヘト人エフロンより、「無料で提供する」という申し出を受けたにも関わらず、
アブラハムは「その土地を売ってくれ」と願い出る。
そして示された金額(銀400シェケル)を、
相当な高価な値段であるにも関わらず、すぐさま支払っている。

どうしてアブラハムは、無料の土地提供を拒んだのか。
それは、タダでもらった土地に埋葬するのでは、
アブラハムにとってそれはあまりにも「軽くて安易な」振る舞いに思えたからではないか。
アブラハムは代金を支払いたかった。
それが、彼のサラを大切に思う気持ちの現れだったのだ。

私たちも亡き人を葬るにあたり、さまざまな思いをいだく。
「この人がいてくれたから、自分も今こうしていられる」そのことへの感謝。
「この人と出会えたから、自分はこのような人生を歩んでこれた」そのことのありがたさ。
そんな思いを表すために、人は心を込めて墓という葬りの場所を作り、
亡き人の魂を大いなる存在に委ねる祈りをささげ続けてきた。
そんな「人類がいだき続けてきた志」を、私たちもまた大切に引き継ぎたい。




『共に生きるために』    コリントの信徒への手紙 Ⅰ 12:14-27 (11月15日)

今日はハンドベルの演奏による豊かな音楽によって礼拝をささげています。
僕も実際にハンドベルの演奏をしたことがあります。
といっても、ほんの少し、東京の教会での青年会のグループと、
会津若松の教会でのハンドベルクワイアの補欠要員…ぐらいのもので、
そんなに豊富な経験があるわけではありません。
でも、限られた体験の中で、ハンドベルを演奏してみて感じたことがあります。

何よりもまず、ハンドベルはアンサンブル重視のリズム楽器であると感じました。
ひとり1~4個のベルを受け持ち、
たくさんの人が「ひとつの楽器」となって奏でるハンドベルは、
楽譜を追っかけるだけではうまく演奏できない。
メロディラインをひとつの「流れ」ととらえ、
その中で自分がどこで打てばいいのかを探り当てる必要があります。
そのために最も大切なのがリズム感。
特に「ウラのリズム」を感じ取れる感覚が重要です。
逆に言えば、リズム感さえ養えば肺活量や特別な音感や技術がなくても、
誰でも親しめる楽器でもあります。
(もちろん、奥は深いと思うのですが…)。

次に、それぞれが出過ぎず、ひっこみ過ぎず、粒のそろった音を生み出すためには、
隣の人と協調し全体性を構築する精神が必要です。
上手な人がひとりだけ突出しても、全体としてはバランスを欠くことになります。
なので、演奏に際しては互いの音をよく聴くことがまず求められる。
ところが実際には、相手に合わせてばかりいると、
かえってリズムが崩れてしまうことがあります
ひとりコケたら、みなコケた…ということになりかねないコワい楽器です。
人の音を聴き過ぎてもいけない。
「隣の人が間違っても、自分は間違えない!!」という決意を持ちながら、
全体の流れをつかんで「そこそこ」自己主張することも大切です。

一方で思うのは、不協和音がとてもきれいに響く楽器だということです。
ハンドベルの曲には和音を何重にも重ね、
その中に様々な不協和音を入れたジャズ和声のアレンジが多いように思うのですが、
これもハンドベルの音色の特性によるもののように思います。
テクニック重視のアップテンポの派手な曲も面白いのですが、
ハンドベルの奥深さを感じさせてくれるのは、
音を何重にも重ねた、ゆったりとした曲だと思います。
不協和音は、他の楽器においては響きの「不思議さ」や「不安定さ」を感じさせます。
そのことによって、ハーモニーにスパイスを効かせる効果をもたらしますが、
ハンドベルではそれが空気の中で溶け合って、
むしろ甘いシロップのような絶妙の響きとなっていくのを感じます。

『互いに協調を目指し、それぞれが出過ぎることなく、
かと言って遠慮して引き過ぎてしまうのでもなく、そこそこ自己主張もする。』

『音の中にいろんな異分子が混ざり込んで、
でもそれが互いを遠ざけるのではなく、結び合う方向へと作用する。』

このようなハンドベルの演奏の特色は、私たち人間の生き方にとっても、
大切な何かを与えてくれるように思います。
それは「共に生きる世界」を作るために、必要なフィーリングです。
イエス・キリストが私たちに教えられた大切なメッセージのひとつが、
この「共に生きる」ということでした。

パウロが今日の聖書の箇所で語ろうとしていることも、
違う働きをする人々がひとつに集まって、ひとつの身体を作る、ということでした。
「他よりも弱く見える部分が、かえって大切なのです」という言葉は、
共に生きる歩みを目指す上で、とても重要なメッセージだと思います。
そんなパウロの語る人と人とのふさわしい関係やあり方というものを、
目に見える形で示してくれるのが、このハンドベルという楽器だと思うのです。
その意味でハンドベルとは、とっても教会的な楽器だと言うことができるでしょう。




『 「自由」って、何だろな? 』  ガラテヤの信徒への手紙5:13-15(11月22日)

今日は、収穫感謝礼拝の中で片岡自由君の洗礼式があります。
自由君が生まれて最初にしゃべった言葉が「ぐゎん(ご飯)」だったそうで、
ご両親から「お前にぴったしやなー」と言われたそうです。

今日はその自由君の名前にもなっている、「自由」という言葉について考えてみたいと思います。
「自由」って、何だろね?
辞書を引くと「何の束縛も受けず、思うがままであること」「じゃまされないこと」と書いてありました。
確かに、誰にも命令されず、支配されず、邪魔されなかったら、自由に生きられるように思えます。
でも、それだけで本当に自由になれるでしょうか?

昔々、アフリカからアメリカに鎖でつながれて奴隷として売られてきた人たちがいました。
この人たちは「自由」には動けませんでした。
一方、奴隷を使う白人たちは、鎖でつながれてはいません。
でも、この人たちは「自由」でしょうか?

奴隷制度が終わった後も、長く長く差別の時代が続きました。
差別を克服するために、黒人たちは立ち上がりました。
キング牧師の公民権運動が有名ですね。
非暴力による闘いで自由を手に入れようとしたのが公民権運動でした。
そんな人たちを邪魔したり、殴ったり、逮捕して牢屋に入れる白人たちもいました。
牢屋の中に入れられた黒人たちと、牢屋の外で「思うがままに」ふるまっている白人たち。
はたして、どちらが「自由」でしょうか?

たとえば自分の持っているおにぎりを、
「これはオレのものだ。誰にもやんないよ。オレの自由だろ!」
そんな風に独り占めする人は自由ではありません。
一見自由に見えますが、「欲張りなこころ」に支配されてしまっています。

「みんなで分け合った方がおいしいね」そんな風に言える人こそ、
本当に自由な人だと思うのです。
分け合えばお腹は一杯にはならない。でも心はあたたかく豊かになる。
本当の自由は「愛」を生み出すものなのです。

  「あなたがたの自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに
   愛によって互いに仕えなさい」 ガラテヤ5:13

             (CS合同収穫感謝礼拝)




『 救い主を待つ人 ― サマリアの女 』   ヨハネによる福音書4:5-15(11月29日)
アドヴェントの季節に入った。
今年は、今現在読み進めているヨハネによる福音書の中から、
救い主の訪れを待つ人の姿に注目しつつ、クリスマスを迎える準備をしたい。

今日の箇所は、イエスがサマリア地方のシカルという街の井戸端で、
ひとりの女性と出会い交わした会話について記された箇所である。
この女性が井戸に水を汲みに来たのは、「正午のことであった」と記されている。

水を汲む仕事は主に女性の担当であったようだが、井戸端が賑わうのは早朝であった。
そこで人々は出会い、様々な情報交換をした。
しかしこの女性は、誰もいない昼頃に水を汲みにやってきた。
そこには、みんなが訪れる時間帯には来づらい事情というものがあったのかも知れない。

16節以下を見ると、彼女は5回結婚をしており、
そしてどういう事情かは分からないが、5回ともその結婚生活に破れていた。
さらに現在連れ添っているのは、「彼女の夫ではなかった」と記されている。
こうした事情が、人々から後ろ指を指される原因となり、
彼女の方からも街の人々との交流から遠ざかろうとする理由になったのかも知れない。

誰もいない時間を見計らって水を汲みに来た彼女の心境とはどんなものであったか。
恐らく孤独と淋しさを心の奥底に抱えていたことだろう。
自分の存在が誰からも必要とされていないと感じる時、人は言葉にできない孤独を味わう。

そんな女性に、イエスは声をかけられた。イエスの方から声をかけられた。
そして「水を飲ませて下さい」と「おねがいごと」をされたのだ。
人からものを頼まれることは、時に萎えた心に「意気」を注いでくれる体験である。
イエスは彼女の心の孤独を見抜いておられたのだと思う。

「ユダヤ人のあなたが、どうしてサマリア人の私に?」という彼女の問いかけは、
当時の複雑な民族対立の状況を表している。
しかしイエスは常日頃からその壁を乗り越えて共に生きることを目指しておられた。
そんなイエスの言葉だからこそ、
それは彼女の渇いた心に、沁みわたる水のように響いていったのではないだろうか。

現代の、特に都会での生活のことが、よく砂漠に例えられる。(「東京砂漠」など)
都市では人と人のつながりが分断され、個人が砂粒のようにバラバラに生きている。
たくさんの人がいても、そこには本質的な孤独があるのではないか。
そんな生活の中で、自分の心の中にある「渇き」を感じ、それを見つめるとき、
聖書のイエス・キリストの言葉が「生ける命の水」としての潤いを与えてくれる...
そのことを信じたい。




『 救い主を待つ人 ― 38年の苦しみの果てに 』  ヨハネによる福音書5:1-9(12月6日)

人が何かを「待つ」という時、その実現が近くに予想されるとき、
そこには期待感やワクワクした思いでその行為に身を委ねることができる。
しかし、その期間が長期にわたり、しかも目的の達成が見込めないような時、
それでも「待つ」人の心の中には、あきらめや失望といった思いが黒々と広がっていることだろう。

今日の箇所に登場する人物は、まさにそのような重い心をかかえながら待っていた人だと言える。
ベトザタ(「神の憐れみ」の意)の池のそばにたたずんでいたその人は、重い病気をかかえていた。
「池の水が動くときに一番に入ると、病が癒される」という噂を頼ってその場所に来たが、
38年もの間、池に入ることができなかったという。

この池の周りの状況を想像するに、それは大変辛く厳しい状況と言えるのではないかと思う。
病気の人や身体の不自由な人のことは、今でこそ「手厚く看護されるべき人」となっているが、
当時は「罪の罰を受けた人」とされて、社会から排除されていた。
ところが、この池の周りでは、そのような社会的弱者同士の競争が繰り広げられていたわけである。
「人間というものは、弱い立場同士の者であっても、互いに人を蹴落とし合ってしまうものである…」
そんな人間の悲しい現実を、このベトザタの池は象徴的に表してるのかも知れない。

この人は38年間「待ち続けた」人であった。
しかしその心の中にある思いとはどんなものであったのか。
あきらめや投げやりな思いが広がっていたとしても、それは仕方のないことなのではないか。

イエスはその人に声をかけられた。「よくなりたいのか」。
その人は応えた。「誰も私を助けてくれる人がいないのです」。
「『よくなりたいか』だと?そんなの当たり前じゃないか!
 だけども、誰も私のことなんか気にかけてくれないんだ!」
そんな風に自分の思い通りならない現実を人のせいにして、自暴自棄になっていたのかも知れない。

イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」。
自分の中に広がるあきらめを、人のせいにするのはやめて、自分で歩いていきなさい、ということだ。
するとその言葉で力が湧いたのか、その人は良くなって歩き出した。

問題は、イエスのこの「癒し」が行なわれたが安息日だったということである。
律法が支配する社会において、その掟に反することは自分の立場を危うくすることであった。

一日待ってもよかった。何せ38年間も待ち続けたのだから。
けれどもイエスはその日にその人を癒された。
それはこの人があきらめや絶望を感じながらもそれでも待っている、
その「真実」な思いに応えるのは、今、この時しかない。そんな判断だったのだろう。

「本当に「真実」に向き合おうとする時、現実的判断や秩序をも超えねばならないことがある」
それがイエスがこの出来事において示そうとされたことではないか。
逆に言えば、長く待ち続けるという行為の中にどれほどの失望が広がろうとも、
そこに真実な思いさえあれば、きっと道は拓かれていくということでもあるのではないか。

先日、1972年に沖縄が返還されるにあたっての日米交渉の中で、
「密約」が存在していたことを当時の外務省元局長が証言する、というニュースがあった。
「密約」の存在を曝こうとし、そのことで逆に偽証罪に問われた新聞記者が起こした裁判において、
元局長は事実の証言を行なう決意をされた。
「当時の流れの中で、たとえ密約があったとしても、それを認めることはできなかった。
 しかし真実に反して黙することは、結果的に国民のためにならない」と述べておられた。
法廷から退廷する際、元局長と元記者は小さく握手を交わし、再会の約束をされた。
37年ぶりの「真実の表明の瞬間」であった。

真実を大切に思う気持ちを抱いていれば、
神は何らかの形でそれに応えてくださる、そのことを信じたい。




『 救い主を待つ人 ― 痛みを共に 』   ヨハネによる福音書8:1-11(12月13日)

「救い主を待つ人」というシリーズでアドヴェントのメッセージを語っている。
今日の箇所の女性は、その時、瞬間的に、
しかも緊急的に「救ってくれる人」を待っていた人であった。

イエスが神殿で人々に教えておられた時、
そこに姦通の現場で捕まったひとりの女性が連れてこられた。
律法の規定に従えば、彼女は死刑に処せられなければならない。
律法学者たちはイエスに「どう思うか」と詰め寄った。
それはYes, No, どちらに答えてもイエスに不利になる策略的な質問であった。

それにしても、この律法学者たちの振る舞いを見て憤りを感じるのは、
彼らの主目的がこの女性を裁くことにあるのではなく、
イエスを貶めるためであることだ。
この女性はそのために利用されたのである。

人の心が傷つこうが、利用できるものは何でも利用する、
そうした行為は本当に醜く、悲しいものである。
「針のむしろ」に座らされたこの女性は心の奥底で
「誰か!助けて!」という声にならない叫びをかかえながら、たたずむしかなかった。

イエスは何も答えず、黙って地面に何かを書いておられた、とある。
何を書いていたのかは問題ではない。
「どう考えるのだ?」と聞かれて、何も答えずにしゃがんで字を書いている...
この奇妙な振る舞い自体が一つの立場を表している。
それは、まさに今、裁かれようとしているこの女性の傍らに、
「共に痛みを負う」という姿勢で立とうとしておられるのではないか。

イエスはさらに詰め寄る人々に「罪のない者がまず石を投げなさい」と言われた。
すると誰ひとり石を投げることなく立ち去ってしまった。
イエスは言われた。
「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。もう道を誤ることがないように。」
このひと言は重要である。
これがなければ「罪の赦し」は、単なる甘えにつながりかねない。

この物語における「救い」とは何だろう?
罪に問われなかったことが「救い」だろうか?
いや、それよりも、イエスが共に痛みを負って下さった、
そのことによる心の支えこそが「救い」ではないだろうか。

「救い」とは、自分の困難が解決する、その道のりだけを指すのではない。
困難は困難として残り続け、そしてそれを自分で背負っていかなければならない...
そうしたことも人生にはたびたび訪れる。
そのような時、最もつらいのは、困難があること自体よりも、
だれもその辛さや痛みを分かってくれない、そんな孤独に沈むことではないか。
しかしイエスだけは、あの十字架へ向かう歩みの中で、共に痛みを負って下さる...
そのことを信じられるとき、私たちは「救い」を得、自分の道へ帰って行ける。

  ♪ あなたの前に横たわる 悲しみを敷き詰めた昨日は
    あなたにしか ひとりでしか 越えられないけど
    流せなかった涙ごと 放り出せない荷物ごと
    わたしが愛するから あなたを愛するから いつも

              (Every breath you take / 川村結花)




『 救い主は待っておられる 』  ヨハネの黙示録3:14-22(12月20日 クリスマス礼拝)

今年のアドヴェントは、特に救い主の到来を「待つ」人々に焦点を当て、
社会の中で、渇き切っている心に潤いを与える「いのちの水」として、救い主が来て下さる、
  ― その訪れを待ちつつ、クリスマスを迎える準備をしてきた。

しかし、今日の日を迎えるにあたり、こんな問いかけをしてみたい。
「私たちが救い主を待っている。それだけでいいのですか?」と。
私たちに不足する「ニーズ」を神さまが補って下さる、それをただ待っているだけでいいのだろうか。
実は私たち自身が神さまから、待っていただいている、
  ― そう考えることも大切な信仰の課題なのではないか。

聖書にはしばしば、「ひっくり返しの信仰」と呼べる箇所が登場する。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して下さった」(ヨハネの手紙)。
このような「ひっくり返しの信仰」というものは、宗教的な感性の重要な部分を表していると思う。
「待つ」という行為についても、同じことをあてはめてはどうだろうか。

それは「自分の渇きや痛みを癒してくれる誰かを待つ」だけでなく、
「私は誰の渇きを、痛みを和らげ癒すことができるだろうか」と考える生き方を求めるということである。
私たちがそんな人間になることを「救い主は待っておられる」。
そんな風に考えて「ひっくり返し」の人生を実践してみる。
すると不思議なことに、いつの間にか自分の渇きも癒されている...そういうことがあるものだ。

賀川豊彦が新川のスラム街に入り、社会活動を始めたのは1909年12月24日だった。
自分の頭にリボンをかけ、
「神さま、この私をクリスマスのプレゼントとして受けとって下さい」そう祈ったというのだ。
クリスマスにイエス・キリストという神さまからのプレゼントを受けとるだけでなく、
自分のからだを神に喜ばれる献げものとする...。
賀川はそんな「ひっくり返し」の信仰の豊かさを生きた人であった。

「わたしは戸口に立って叩いている」この聖句を元にした絵がある。(ホルマン・ハント『世の光』)
イエスがノックするその扉には、ドアノブがついていない。
内側から開けなければ、イエスを迎え入れることはできない、ということだ。
「救い主は待っておられる」そう受けとめて、私たちも心の扉を開く者でありたい。




『 お疲れさまの国 』  マタイによる福音書11:25-30(12月27日)

「お疲れさま」。
私たちの国では、そんな言葉を仕事や働きを終えた時のねぎらいとして交わし合っている。
これは他の国の言葉にはなかなか無いニュアンスの挨拶だそうだ。

僕は、この挨拶の言葉と語感が好きだ。
こういう言葉をさりげなく、温かく交わし合う人同士の関係性を「いいなー」と感じている。
それはこの「お疲れさま」という言葉には、
それぞれの人生に対する「ささやかな肯定」というものがあると思うからだ。
さりげなく、押しつけがましくもなく、それぞれの歩みを尊重し合っている...。
そんなニュアンスをこの言葉から感じる。

私たちひとりひとりの歩みは、決して立派なものではない。
誰でも人に言えない辛さや切なさ、破れや至らなさを感じて生きている。
もちろん自分の弱さに居直ってはいけないのだが、
それらをあげつらい、批判・断罪するような言葉ばかりを浴びせられると心が辛くなる。
そんな私たちの心をフッと軽くし温かく包んでくれる...
それが「お疲れさま」という言葉だと思う。

そしてその挨拶の言葉の中に、私たちは言葉にならないもうひとつのメッセージを受けとるのだ。
「あなたも辛かったでしょう?
 わたしも辛かったのですよ。
 でもここまで共に歩んでこれてよかったですね。
 これからも一緒に歩みましょうね。
 わたしたちは仲間なんですよ」。

イエスのもとに集まった人々は、決してエリートでもなく裕福な人たちでもなかった。
人生に疲れた人、貧しい人がほとんどであった。
そんな人々に向かってイエスは「疲れた者は私のもとに来なさい。休ませてあげよう」と語られた。
そしてその言葉通り、多くに人がイエスのもとで安らぎを与えられた。

彼らがイエスのもとで聞いたメッセージとはどんなものであったのだろうか?
それは突き詰めれば「お疲れさま」という言葉のような、
それぞれの人生をささやかに肯定するようなねぎらいの言葉だったのではないか。

それぞれの人生の重荷というものは、しばしばそれ自体がもたらす苦しみよりも、
「それを誰も分かってくれない」という孤独の方が辛く思えることがあるだろう。
しかしイエスが共に、しかも十字架の苦しみを負われたイエスが共に負って下さると信じるとき、
そこに安らぎが与えられる。

他の人には言えない、自分の弱さ、破れ。共感してもらえない、意気地のなさ、だらしなさ。
イエスはそれをわかって下さる方だったと思う。
もちろん、それを「いいよいいよ」などと甘やかす人ではなかったけど、
でもどうしてもそうならざるを得ない人の心や生き様を、受けとめてくれる人だったと思う。

今日、1年最後の礼拝の日に、こんな風にイエスの言葉を受けとめたいと思う。
「あなたの、人には言えない弱さ、破れ、イケてない部分、それをかかえて生きる辛さ。
 それは、わたしには分かるよ。だから疲れた時には私のもとに来なさい。
 共にその辛さを背負ってあげよう。
 けれども、それでもあなたはあなたの道を歩まねばならない。
 休みを得たら、さぁ再びその道を進もう。
 私が共にいるから。そして共に歩む仲間がいるから。
 大変だけど、頑張っていこう。
 お疲れさま」

今年一年、私たちの歩みにも色々なことがあった 
嬉しい楽しいことばかりではなく、すべてが思い通りでもなかった。
行き違い、すれ違い、不安を感じる事柄も数々あったことだろう。

でもそんな中をそれでも共に歩んできた人々に向けて、
心を込めて「お疲れさまです」と言い交わし合えるものでありたい。


   ♪一日に何度も繰り返すそのことば
    もしかしたら「こんにちは」よりも多いくらい
    そのひとの疲れに「お」をつけて 「さま」までつけて
    「おつかれさまです」と声かけるぼくらの日々

    やさしくて強くて 一生懸命で
    生きることはただそれだけでも 大変で
    その愛も 仕事も 大切で 頭をさげて
    「おつかれさまです」と 言い交わすぼくらの国

    泣きたくなることもあたりまえ 坂道は
    もうなんども経験したから 慣れてきた
    その人の涙は拾えない 見ちゃいけない
    「おつかれさまです」と 微笑んでぼくらの旅

     つらいのはわかってる だけどわからないよ
     誰だってそれぞれ 隠した切なさは
     ほんとうはいえなくて だから いうのだろう
     ありがとう 大丈夫です おつかれさまです

           (斉藤和義『おつかれさまの国』)




 
 
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